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2011/07/15 12:12:54 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(11)

大船渡から陸前高田まではほど近い。市内に入る前、海からまだ遠い場所なのだが、田んぼに車や瓦礫が多数転がっているのが見えた。この先の状況を想像するのはあまりにも容易だ。

IMG_2099_R

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 市内に入ると、広大な平地、平地と言うより荒涼とした原野が広がっており、ところどころに山が築かれていた。山というのはもちろん瓦礫の山の事で、他のどの地区よりも多く点在しているように感じる。

IMG_2110_R

 この道路の進行方向には川があり、その川を超える2つの橋はいずれも倒壊している。この記事を書いている少し前、仮設の橋が開通し、青森から土砂崩れで通行止めになっている石巻の手前までつながった。

 市街地に入る道には橋があったのだが、4月の時点で既に仮設の道路が出来上がっていたし、とにかく国道の復旧は驚くほど早い。資材の調達、復旧作業を行う委託企業への発注や現地踏査など、訓練されていたかのような手際の良さには驚かされた。残念ながら、今回の震災では「うまく機能しなかった」事ばかり取り上げられる。私は「機能したもの」こそ、次の震災に控えて幅広く広報してもらいたいものだと思う。

IMG_2123_R

 あまりに荒涼としているため、土地勘のない私では、海を基準にしなければ自分がどこに居るのか判らなくなってしまう。それでも瓦礫の撤去が進んでいるため、見通しは良く、車を降りて見回せば把握はできる。但し、見回すほどに怒りにも似た悲しさを感じてしまう。

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 海辺に立つ競技場だろうか、照明のポールだけは何事もなかったようにたたずんでいるが、観客席はご覧の通りで、堤防同様に破壊されている。

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 捜索活動だろうか、隊員が打ち合わせをしていた。撮影は邪魔にならないように行うのだが、2、3度ダンプカーにクラクションを鳴らされることもあった。普段ならどうって事はないのだろうが、殺気立っているのだ。

IMG_2138_R

 陸前高田駅もまた流されているが、この写真は線路を超える陸橋の上から海側を撮影したもの。正直なところ、帰ってから位置を確認するまで線路を超えているとは知らなかった。

 それにしても、2か月半、ここまで瓦礫を撤去しているのも凄い。自治体による取り組みの違いがここではまざまざと感じた。

つづく。

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2011/07/13 15:49:03 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(10)

大船渡に入ると、港に近い商業施設、水産加工施設の集まる港地区が瓦礫の山に埋まっていた。縦断する道路はきれいに片づけられているものの、重機が動いているところもあれば放置状態になっている場所もある。

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 移動中、瓦礫に埋もれてしまった会社の前で、社員の方々であろうと思われる一同が記念撮影を行っていた。服装などから判断するに、これから瓦礫の片づけを行うのだろう。

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 海からやや離れた、商業施設が特に多い地区は、自治体が勝手に瓦礫の処分を行えないからであろうか、被災者の捜索は行われたあとはあるものの、被災直後、そのままの状態に近い。

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 上の写真にはカモメが映っている。本来は人が近付くと逃げてしまうカモメであるが、魚肉であろう肉片をつっつきながら道の真ん中を歩いていた。まるで自分たちが仕切っているとでも言いたいのか、カメラを向けると悠然と目の前を飛び去って行った。

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 何よりも、この地区にはまだ匂いが残っていた。ほとんどの地区ではしなくなった、何とも言えない海のものの腐敗臭が残っているのだ。写真を見ればそれもそのはずだと納得して頂けるだろう。

 この記事を書いている時点で判明している死者は325人、行方不明者は127人。被害の大きい地区は川と山側の丘に挟まれており、山側に比較的早く逃げられたはずだ。しかし、相手は潮位が上昇し始めてから7分ほどで2階まで達してしまった巨大な津波である。押し寄せてから逃げたのでは間に合わなかったであろう。

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 そのような状況の中でも、大船渡の魚市場は復活に向けて着々と進んでいた。事実、この取材から数日後に市場が開いたのである。

 公式に公表されているインターネット関係の支援では、災害対策本部へJAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)つくば宇宙センターが人工衛星きく8号を利用した支援を行った。また、庁内職員端末へは、WIDEプロジェクトがIPSTARを利用して支援を行った。

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 山側には鉄道が通っているが、震災直後のままであろう電車が停止したままになっている。

つづく。

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2011/07/07 14:53:19 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(9)

 釜石市に向かう途中には、既に見慣れたと言っても良い景色が延々と続く。できれば見慣れたくはない景色なのだが、この辺りの45号国道は街の中心部を通っているため、否応なく目にする事となる。

IMG_2018_R

 下の写真は両国駅近くの堤防が決壊している場所。ここもVの字に入り江となっており、波の威力が大きかったのだろう。岸壁のコンクリート防波堤がなぎ倒されている。

IMG_2036_R

 釜石市は比較的大きな市で、この記事を書いている時点でも42か所の避難所に666人が非難している。死亡者も871人、うち身元不明者は121人にもおよぶ。行方不明者も354人いる。

 市内は宮古と同じように、港に近くなるほど埃っぽく感じる。事実、釜石市の瓦礫撤去は他の地区に比べて進んでいない。撤去の方法がプロポーザルで決定するというアナウンスがなされており、地元の業者から不満が出ているなど、なお混乱しているように伺える。

IMG_2042_R

 釜石市はコンクリート建ての建物が多く、ぱっと見では被害の程度がほかより小さいのではと思ってしまう。実はそうではなく、建物と建物の間や一階部分には瓦礫が詰まっている状況であった。ただ、商店街は復興に向けた後片付けが進んでいた。

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 瓦礫の撤去、7月に入ってから国が代行して行う法律も整備された。一定の負担を市に求めるが、業務を代行するというものだ。釜石市はどうするのだろうか。今後を見守りたい。何より既に夏。これからの季節に瓦礫が残っていると、市民の衛生面で不安が残る。

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 釜石市の災害対策本部はシープラザにある。当初は多くの職員がここで被災者支援にあたっていたが、今は庁舎に戻っている。写真の後ろには仮設住宅関連の業務を行っている教育センターがある。センターは内線電話が通じていないらしいが、Twitterで不便ではないのか?とつぶやいたところ、近いので不便ではないという旨の返答があった。震災時に電話が通じなくて混乱したのはどの行政も同じだと思うが、喉元過ぎればなんとやら、あらためて「電話」という情報通信が比較的軽視されてる事実がある。

 シープラザの建物内部は明るい。一階に受付らしい方がいて用事を聞いている。私は二階に上がってみたのだが、雰囲気も良い。ここが市庁舎なら良いのにと思った。

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 こちらは合同庁舎。内陸にあるので被害は受けていない。県はここを中心に復旧復興業務にあたっている。内部も被災した様子は見られず、職員が粛々と対応にあたっていた。ご苦労様です。

つづく。

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2011/07/05 12:39:55 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(8)

野田村から南下する途中で見た光景だけで十分なのだが、被災地はこれでもか!というほど続く。

 宮古市内に入ると、港に近い地域がかなり埃っぽい。市内は大きな瓦礫が取り除かれており、今まさに乾燥した泥の回収をしているからだ。宮古の市瓦礫撤去はかなり進んでいる。

IMG_1913_R

 宮古と言えば何と言っても浄土ヶ浜である。小学生の頃に修学旅行で行った覚えがあるし、その後も何かにつけて訪れることが多かった。その思い出が詰まった場所に向かおうとするが、標識もなく、建物もなく、ナビで示された道もところどころ通れない。特に狭い路地が入り組んだ場所に入ってしまった私は、ナビのたった数メートル誤差で自分が今いる場所を特定できなくなってしまった。

IMG_1910_R

 瓦礫撤去が進むそのまっただ中で、警備のためだろうか、仁王立ちしている警察官に道を尋ねた。建物がないとなかなか道案内も難しい。警察官は「あの遠くのクレーンが見えるでしょ?ここからあそこに向かって走って、手前の十字路を左に」と教えてくれた。心細い道案内だが仕方ない。車を降りないとどこが十字路なのか解らないのだ。周りの景色とナビを照合しながら言われたとおりに進むと、ようやっと抜けることができた。

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 浄土ヶ浜の駐車場。震災前は多くの観光バスが止まっていたが、今は工事関係者以外に人影はない。写真の左側には「浜」まで続く道があるのだが、道路のところどころがひび割れしており、通行はできない。入口で見張っている観光協会の方らしき方に浜まで行きたい旨を話すと、歩いてなら行っても良いとの事。浜まで1キロほどを歩くことにした。

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 歩き始めて数分、道路から浄土ヶ浜が眼下に見渡せるようになる。震災前に比べると、浜がところどころシミのように黒ずんでいるように感じる。

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 近くまで行くとはっきりわかるのだが、白い石と石の間に小さなごみが詰まっている。黒ずんでいるように見えていたのはそのせいであろう。細かい海藻などのごみはいずれ波が洗い流してくれる。

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 それでも美しいたたずまいを見せてくれる浄土ヶ浜。まるで何事もなかったようだ。ここまで瓦礫を片づけた努力は並々ならぬものがあっただろう。事実、震災後 Google Earthで見た浜は瓦礫の山が築かれていた。

 お土産を売っていたレストハウス。ガラスがすべて割れてしまったのだろうか、ベニヤ板で覆われていた。

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 1台だけ車が止まっており、観光協会の方であろうか、黙々と目につく流木などのごみを拾っていた。地道に拾い集めるしかない、そのような意気込みというか、忍耐強さが伝わってくる。

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 浜の端の方に行くと、重機がなければどうしようもない瓦礫がまだ残っていた。キャタピラが水面から顔を出している。

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 入口に居た観光協会の人に挨拶をして市役所に向かうのだが、私が居る間にも何台かの観光客らしい車が入口で止められていた。みな残念そうに去っていくのだが、歩いて行こうと考える人はいないらしい。あるいは取材らしい「出で立ち」の私が特別に許されたのだろうか。

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 宮古市役所はまだ停電が続いているのか(?)内部の階段は裸電球だった。一階は水没したのだろう、べニア板を張られて機能していない。全体的に暗い雰囲気で、張り紙なども数多く残っていた。外の明るさとは対照的だ。

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 釜石市に向かう途中、大槌町方面の集落を反対側の45号国道から望んだ姿。爆撃を受けたような感すらある。大槌、山田町にも立ち寄ったのだが、なかなか閉鎖的な感があった。国道から大槌に向かう侵入道路に警察官が立っていたのが印象に残る。

 冒頭で述べたが、ここまでの状況を見るだけで通常は十分だろう。どこに立ち寄っても瓦礫、汚泥、埃。警察官、ダンプ、重機、被災者。それだけは何も変わらない。小さな街も、大きな街も、案内板がなければそこがどこの街かすらわからない有様なのだ。しかし、ここからはさらに震源地に近くなり、同様に被害も大規模になる。

つづく。

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2011/07/04 12:03:13 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(7)

被災地を巡る途中に龍泉洞(日本三大鍾乳洞)に寄った。

 龍泉洞は洞窟の中に水を湛えたとても美しい洞窟で、その水は世界でも有数の透明度を持ち、第三地底湖では水深が120mと、まさに地底湖である。

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 龍泉洞レストハウスで昼食をとったのだが、到着してからというもの、何やらずっと違和感があった。観光客が一人もいないのだ。お土産を買って帰るまでの小一時間、お客さんは私だけ。レストハウスの方に話を伺うと、休日の客足は多少増えるものの、震災以来ずっとこの調子。特に平日は今までで最も酷いとの事であった。少なくともこの地の被害は観光できないというレベルではない。予想以上に深刻な状況であった。帰りのお土産屋さんで買い物をしてきたのだが、その時の「ありがとうございました」という言葉には感謝の気持ちが溢れんばかりに込められていた。。

釈然としない思いを胸に、グリーンピアに向かった。

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 グリーンピアは避難所と仮設住宅が隣接している。戻って聞いた話だが、仮設住宅に入ってしまうと食事などは自分で作らなければならなくなるため、なかなか仮設住宅が埋まらないそうだ。一見我儘に思えるが、周りの環境をみると仕方ないのかもしれない。グリーンピアは自然豊かな場所に作られており、近隣に商店街などない。敷地内に仮設の商店が営業してはいるのだが、当然品物は限られているし、隣町も被災しているので簡単に買い物ができる状況ではないのだ。

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 避難所にはインターネットコーナーがあった。衛星通信で引いたそうで、避難所全体にWiFi公開している。そのため個々の閲覧速度はお世辞にも速いとは言い難い。また、私が持って行ったiPad2の3G回線も酷く遅く、通信事情を聞いたところ、携帯のauであればある程度の速度は出るが、夜半は同様に遅くなるとの事であった。

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 避難所のインターネットで問題になるのは、子供がゲームをして遊ぶから使わないという場所が多い事だ。特に避難所の運営は自治会が多く、市の職員は補佐的にいる事が多い。自治会でPCを撤去するという方針であれば、例えPCが配布されていたとしても使う事が出来ない。この問題は配布するPCの数が少ないところに多くみられる。私が実際に避難所を巡ったり、PC配布の段取りを行った中で感じたことは、10人に1台のPCが必要。そのくらいないと平等には行きわたらない。

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 この避難所の方は田老町などの沿岸部から避難してきた方たちである。写真のように河口から山がせり出しており、その分津波の高さが増し、数キロ先まで押し寄せている。

つづく。

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