大船渡に入ると、港に近い商業施設、水産加工施設の集まる港地区が瓦礫の山に埋まっていた。縦断する道路はきれいに片づけられているものの、重機が動いているところもあれば放置状態になっている場所もある。
移動中、瓦礫に埋もれてしまった会社の前で、社員の方々であろうと思われる一同が記念撮影を行っていた。服装などから判断するに、これから瓦礫の片づけを行うのだろう。
海からやや離れた、商業施設が特に多い地区は、自治体が勝手に瓦礫の処分を行えないからであろうか、被災者の捜索は行われたあとはあるものの、被災直後、そのままの状態に近い。
上の写真にはカモメが映っている。本来は人が近付くと逃げてしまうカモメであるが、魚肉であろう肉片をつっつきながら道の真ん中を歩いていた。まるで自分たちが仕切っているとでも言いたいのか、カメラを向けると悠然と目の前を飛び去って行った。
何よりも、この地区にはまだ匂いが残っていた。ほとんどの地区ではしなくなった、何とも言えない海のものの腐敗臭が残っているのだ。写真を見ればそれもそのはずだと納得して頂けるだろう。
この記事を書いている時点で判明している死者は325人、行方不明者は127人。被害の大きい地区は川と山側の丘に挟まれており、山側に比較的早く逃げられたはずだ。しかし、相手は潮位が上昇し始めてから7分ほどで2階まで達してしまった巨大な津波である。押し寄せてから逃げたのでは間に合わなかったであろう。
そのような状況の中でも、大船渡の魚市場は復活に向けて着々と進んでいた。事実、この取材から数日後に市場が開いたのである。
公式に公表されているインターネット関係の支援では、災害対策本部へJAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)つくば宇宙センターが人工衛星きく8号を利用した支援を行った。また、庁内職員端末へは、WIDEプロジェクトがIPSTARを利用して支援を行った。
山側には鉄道が通っているが、震災直後のままであろう電車が停止したままになっている。
つづく。