釜石市に向かう途中には、既に見慣れたと言っても良い景色が延々と続く。できれば見慣れたくはない景色なのだが、この辺りの45号国道は街の中心部を通っているため、否応なく目にする事となる。
下の写真は両国駅近くの堤防が決壊している場所。ここもVの字に入り江となっており、波の威力が大きかったのだろう。岸壁のコンクリート防波堤がなぎ倒されている。
釜石市は比較的大きな市で、この記事を書いている時点でも42か所の避難所に666人が非難している。死亡者も871人、うち身元不明者は121人にもおよぶ。行方不明者も354人いる。
市内は宮古と同じように、港に近くなるほど埃っぽく感じる。事実、釜石市の瓦礫撤去は他の地区に比べて進んでいない。撤去の方法がプロポーザルで決定するというアナウンスがなされており、地元の業者から不満が出ているなど、なお混乱しているように伺える。
釜石市はコンクリート建ての建物が多く、ぱっと見では被害の程度がほかより小さいのではと思ってしまう。実はそうではなく、建物と建物の間や一階部分には瓦礫が詰まっている状況であった。ただ、商店街は復興に向けた後片付けが進んでいた。
瓦礫の撤去、7月に入ってから国が代行して行う法律も整備された。一定の負担を市に求めるが、業務を代行するというものだ。釜石市はどうするのだろうか。今後を見守りたい。何より既に夏。これからの季節に瓦礫が残っていると、市民の衛生面で不安が残る。
釜石市の災害対策本部はシープラザにある。当初は多くの職員がここで被災者支援にあたっていたが、今は庁舎に戻っている。写真の後ろには仮設住宅関連の業務を行っている教育センターがある。センターは内線電話が通じていないらしいが、Twitterで不便ではないのか?とつぶやいたところ、近いので不便ではないという旨の返答があった。震災時に電話が通じなくて混乱したのはどの行政も同じだと思うが、喉元過ぎればなんとやら、あらためて「電話」という情報通信が比較的軽視されてる事実がある。
シープラザの建物内部は明るい。一階に受付らしい方がいて用事を聞いている。私は二階に上がってみたのだが、雰囲気も良い。ここが市庁舎なら良いのにと思った。
こちらは合同庁舎。内陸にあるので被害は受けていない。県はここを中心に復旧復興業務にあたっている。内部も被災した様子は見られず、職員が粛々と対応にあたっていた。ご苦労様です。
つづく。