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2011/08/11 14:46:00 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに。(最終回)

足かけ3か月かけて書いている記事も今日が最後です。

 本来、8月の初旬に再訪問する予定だったのですが、各地で祭りが行われ、移動手段や宿の予定が立たず、今日まで延期しています。

最終回なので、真実はどこにの結論を書かなければなりませんね。

 東北は様々な災害に見舞われていましたが、人間の一生と言う短い期間での教訓が生かされてきませんでした。チリ地震津波や十勝沖地震、宮城県沖地震など、大きな災害がもたらされたにも関わらず、巨大な津波は軽く堤防を越えて襲いかかってきました。

 しかし、ここ20年、インターネットが発達してきた時代において、災害の教訓が生かされてきたのではないでしょうか。インターネットは技術的な要素のみならず、災害情報と民意を運ぶ船でもあったはずです。

 仙台市内、例えば震度6強を記録した宮城野区では、近年建築された家屋の倒壊はありません。見るからに古い家屋は被災していますが、多くは津波による倒壊です。この耐震性は、阪神淡路大震災から多くの事を学ぶことができたからです。今ではあまり話題になりませんが、この震災の時もインターネットは活躍しました。

 東北新幹線ではけが人が1名も出ず、安全に停止し、1か月と少しで全線が復旧しています。この耐震性もまた、中越地震での新幹線脱線が教訓となったものです。機会があったら新幹線の高架橋に鉄板が張り付けられているのでご覧になってください。この補強は、中越地震後にJR東日本が施したものです。おそらく、多くの方がインターネットでこの記事や画像を目にし、反響が大きかった事から実現したのでしょう。これが他国なら、脱線程度で良くやった!新幹線は安全だ!で終わるのです。しかし、日本人とはそういうものではありません。新幹線は日本人の誇りでもあるので、脱線など許すはずもないのです。もちろん良い意味で。

 このような教訓は、その時にそれが話題となり、民意を動かさなければ実際の対策として実現しなかったでしょう。今回の津波も、インターネットという媒体を通じ、津波の脅威がいつでも、誰でも目に入れる事が出来ます。それは結果的に被災の記録として残り、人間の一生よりも長い時間を経て、次の世代に受け継がれていくのです。

 日本人の国民性、特に東北人の我慢強さと苦境に対する強い姿勢は、ただ単に今回の震災を受け入れるだけではなく、自らが行動を起こし、淡々と復旧・復興する事で、日本内外へその強さを表明してきました。例え政治が混乱していたとしても、毎日誰もが復旧に向けて努力を続け、まるで政府をあざ笑うかのように、今日東北は力強く立ち上がろうとしています。諸外国は政府を信用していなくとも、日本国民には強い信頼感と畏敬の念を抱いているのです。

 物語の真実は、インターネットやTVを通じた情報の正確さにより、人々が極めて冷静に行動できたという事。一人一人の考え方がまちまちでも、日本人には国を大事にするという意識があり、少なくとも政府が市民をコントロールしているのではないということ。それがこの大きな災害においても日本人が負けることなく立ち続けられる原動力であると感じます。

 ひょっとしたら、この国は民主主義の次のステップ、まだ見ぬ高次元の国家へと向かえるのかもしれません。なぜなら、インターネットで見られる雑多な、まだ混とんとした意見や考え方が、次の世代に受け継がれるに従って整理され、言わば国民投票的な意味合いを持つ可能性があるからです。それだけこの国の住民は社会通念的なモラルを持っており、無償の愛という究極の感情を持ち合わせているからです。私は今回の震災で、行政組織の手順を抜いた支援を行う事もしましたし、国家行政が手順抜きで支援した状況も見てきました。その活動の中で、日本と言う国の可能性についてより多くの事を考えるに至りました。

 被災した街が、今も続く以前のような政治のもとで再興されて行くのか、それとも戦後初めて「民意によって自立した日本」が作られていくのか、私は次世代を担う人々と共に、この国で生き、被災者を見守りたいと思います。

 最後になりましたが、あらためて、この震災で亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。合掌。

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2011/07/19 12:24:45 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(12)

 陸前高田から気仙沼に向かう橋が崩落しているため、山間を迂回しなければならない。陸前高田の北から5キロほど内陸に入りると、真っ直ぐ気仙沼に向かう道路がある。この道路は大型トラックが通れないため、そのような車両は40キロ以上迂回が必要となる。

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 山間の自然を抜けると気仙沼の市街地に入る。瓦礫撤去の作業まっただ中であるため、沿岸部への出入りは規制されていた。気仙沼の地形や商業施設の配置は大船渡に似ており、周りの高台から海の方を見渡せる。高台の住宅は無傷で、まさに天国と地獄。

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 気仙沼は市であるからして大きく、本吉小泉に向かう途中にも多くの港町や集落がある。それらすべての街が無残に流されている。
 この日の海はとても穏やかで、初夏の日差しを受けて美しく光っていた。こんな穏やかな海が牙をむいたとはとても思えないのだが、目の前にはその証拠である瓦礫が散在している。瓦礫と海の無情なコントラストがやるせない気持ちにさせる。

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 その本吉小泉にある津谷川を超える45号線の橋(橋長182m)と鉄道の陸橋も流されており、通行止めになっていた。そのため通行止めになる手前のコンビニで迂回路を教えてもらった。本吉は比較的内陸にはあるのだが、津谷川を津波が遡り被害をもたらしている。

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 小泉の開けた地域に出ると、目の前にモニュメントのような崩れた鉄道陸橋が現れてくる。この高さまで押し寄せた事にも驚くが、それを破壊してしまうとは、津波の威力がとほうのないものだという事を強く感じる。

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 小泉小学校近くの高台から小泉地区を望む風景。河口があるこの町は、いわゆる巨大堤防というものは存在しない。吉本地区は人口が11,000人余で、死者55人、行方不明者96人。避難所などはところどころにある小高い山の上に建っており、そのためか多くの人々が助かっている。

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 45号線は既に仮設の陸橋が建築中で、この取材を行った1か月ほど後に無事開通している。

 北から南に45号国道を通ると、通行止めになっている部分がほとんど橋であることに気付く。石巻近郊でがけ崩れに見舞われてはいるが、もともと南三陸は地盤が固いのであろう。部分崩落は見られたものの、陸地での道路被害は目立ったものがなかった。

 常磐自動車道が海沿いを通らず高台を通っているのは、災害時の救援物資や交通の確保を目的としているからだ。仙台市、名取市や岩沼で防波堤の役割をしたのは、そうした災害想定の副産物でしかない。災害以前に防波堤としての役割を持たせるよう提言した大学もあるようだが、残念ながら予算の関係で実現しなかった。そして、ところどころにある穴から内陸に津波が通り抜けてしまった。そうした中、県道を盛り土して津波に備えるという県の案が出されており、その有効性が実証された。

 同様に、もしもという仮定には意味がないが、三陸道が全線で開通していたなら、もっと多くの人々が災害復旧に携わる事ができたであろうし、そのスピードも早かったはずだ。道路は交通という面だけではなく、市民にとっても生命線だという側面を持っている。その生命線だが、ここ数か月における政府の政策などを受けて私が感じるのは、おぼっちゃまの愚策としか思えない。「市民の命あってこその政府」であることを忘れているとしか思えないからだ。

つづく。

1
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2011/07/15 12:12:54 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(11)

大船渡から陸前高田まではほど近い。市内に入る前、海からまだ遠い場所なのだが、田んぼに車や瓦礫が多数転がっているのが見えた。この先の状況を想像するのはあまりにも容易だ。

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 市内に入ると、広大な平地、平地と言うより荒涼とした原野が広がっており、ところどころに山が築かれていた。山というのはもちろん瓦礫の山の事で、他のどの地区よりも多く点在しているように感じる。

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 この道路の進行方向には川があり、その川を超える2つの橋はいずれも倒壊している。この記事を書いている少し前、仮設の橋が開通し、青森から土砂崩れで通行止めになっている石巻の手前までつながった。

 市街地に入る道には橋があったのだが、4月の時点で既に仮設の道路が出来上がっていたし、とにかく国道の復旧は驚くほど早い。資材の調達、復旧作業を行う委託企業への発注や現地踏査など、訓練されていたかのような手際の良さには驚かされた。残念ながら、今回の震災では「うまく機能しなかった」事ばかり取り上げられる。私は「機能したもの」こそ、次の震災に控えて幅広く広報してもらいたいものだと思う。

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 あまりに荒涼としているため、土地勘のない私では、海を基準にしなければ自分がどこに居るのか判らなくなってしまう。それでも瓦礫の撤去が進んでいるため、見通しは良く、車を降りて見回せば把握はできる。但し、見回すほどに怒りにも似た悲しさを感じてしまう。

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 海辺に立つ競技場だろうか、照明のポールだけは何事もなかったようにたたずんでいるが、観客席はご覧の通りで、堤防同様に破壊されている。

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 捜索活動だろうか、隊員が打ち合わせをしていた。撮影は邪魔にならないように行うのだが、2、3度ダンプカーにクラクションを鳴らされることもあった。普段ならどうって事はないのだろうが、殺気立っているのだ。

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 陸前高田駅もまた流されているが、この写真は線路を超える陸橋の上から海側を撮影したもの。正直なところ、帰ってから位置を確認するまで線路を超えているとは知らなかった。

 それにしても、2か月半、ここまで瓦礫を撤去しているのも凄い。自治体による取り組みの違いがここではまざまざと感じた。

つづく。

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2011/07/13 15:49:03 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(10)

大船渡に入ると、港に近い商業施設、水産加工施設の集まる港地区が瓦礫の山に埋まっていた。縦断する道路はきれいに片づけられているものの、重機が動いているところもあれば放置状態になっている場所もある。

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 移動中、瓦礫に埋もれてしまった会社の前で、社員の方々であろうと思われる一同が記念撮影を行っていた。服装などから判断するに、これから瓦礫の片づけを行うのだろう。

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 海からやや離れた、商業施設が特に多い地区は、自治体が勝手に瓦礫の処分を行えないからであろうか、被災者の捜索は行われたあとはあるものの、被災直後、そのままの状態に近い。

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 上の写真にはカモメが映っている。本来は人が近付くと逃げてしまうカモメであるが、魚肉であろう肉片をつっつきながら道の真ん中を歩いていた。まるで自分たちが仕切っているとでも言いたいのか、カメラを向けると悠然と目の前を飛び去って行った。

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 何よりも、この地区にはまだ匂いが残っていた。ほとんどの地区ではしなくなった、何とも言えない海のものの腐敗臭が残っているのだ。写真を見ればそれもそのはずだと納得して頂けるだろう。

 この記事を書いている時点で判明している死者は325人、行方不明者は127人。被害の大きい地区は川と山側の丘に挟まれており、山側に比較的早く逃げられたはずだ。しかし、相手は潮位が上昇し始めてから7分ほどで2階まで達してしまった巨大な津波である。押し寄せてから逃げたのでは間に合わなかったであろう。

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 そのような状況の中でも、大船渡の魚市場は復活に向けて着々と進んでいた。事実、この取材から数日後に市場が開いたのである。

 公式に公表されているインターネット関係の支援では、災害対策本部へJAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)つくば宇宙センターが人工衛星きく8号を利用した支援を行った。また、庁内職員端末へは、WIDEプロジェクトがIPSTARを利用して支援を行った。

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 山側には鉄道が通っているが、震災直後のままであろう電車が停止したままになっている。

つづく。

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2011/07/07 14:53:19 プライベート♪
東日本大震災
真実はどこに(9)

 釜石市に向かう途中には、既に見慣れたと言っても良い景色が延々と続く。できれば見慣れたくはない景色なのだが、この辺りの45号国道は街の中心部を通っているため、否応なく目にする事となる。

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 下の写真は両国駅近くの堤防が決壊している場所。ここもVの字に入り江となっており、波の威力が大きかったのだろう。岸壁のコンクリート防波堤がなぎ倒されている。

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 釜石市は比較的大きな市で、この記事を書いている時点でも42か所の避難所に666人が非難している。死亡者も871人、うち身元不明者は121人にもおよぶ。行方不明者も354人いる。

 市内は宮古と同じように、港に近くなるほど埃っぽく感じる。事実、釜石市の瓦礫撤去は他の地区に比べて進んでいない。撤去の方法がプロポーザルで決定するというアナウンスがなされており、地元の業者から不満が出ているなど、なお混乱しているように伺える。

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 釜石市はコンクリート建ての建物が多く、ぱっと見では被害の程度がほかより小さいのではと思ってしまう。実はそうではなく、建物と建物の間や一階部分には瓦礫が詰まっている状況であった。ただ、商店街は復興に向けた後片付けが進んでいた。

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 瓦礫の撤去、7月に入ってから国が代行して行う法律も整備された。一定の負担を市に求めるが、業務を代行するというものだ。釜石市はどうするのだろうか。今後を見守りたい。何より既に夏。これからの季節に瓦礫が残っていると、市民の衛生面で不安が残る。

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 釜石市の災害対策本部はシープラザにある。当初は多くの職員がここで被災者支援にあたっていたが、今は庁舎に戻っている。写真の後ろには仮設住宅関連の業務を行っている教育センターがある。センターは内線電話が通じていないらしいが、Twitterで不便ではないのか?とつぶやいたところ、近いので不便ではないという旨の返答があった。震災時に電話が通じなくて混乱したのはどの行政も同じだと思うが、喉元過ぎればなんとやら、あらためて「電話」という情報通信が比較的軽視されてる事実がある。

 シープラザの建物内部は明るい。一階に受付らしい方がいて用事を聞いている。私は二階に上がってみたのだが、雰囲気も良い。ここが市庁舎なら良いのにと思った。

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 こちらは合同庁舎。内陸にあるので被害は受けていない。県はここを中心に復旧復興業務にあたっている。内部も被災した様子は見られず、職員が粛々と対応にあたっていた。ご苦労様です。

つづく。

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