――やはり秩序無くして《主体》は此の世を受け入れられぬか?
――人体を見ればそれは火を見るよりも明らかさ。
――ふっふっふっ。人体ね。
――さう含み笑ひをするところを見ると人体は無秩序だと?
――いや、何、人体の秩序とは、所詮、細胞が如何に《死》するかの問題に行き着いてしまふのじゃないかと思ってね。
――受精卵といふたった一つの細胞が細胞分裂を繰り返し、様々な機能の臓器へと分化する《発生》の問題でなく、細胞の《死》が問題だと?
――ああ。臓器がその機能を保持出来るのは細胞が、つまり、癌化する《傷付いた》細胞が自死、即ちApoptosis(アポトーシス)する故に人体といふ秩序は何とか保たれてゐるに過ぎず、更に言へばこの人体の姿形は、細胞がApoptosisと細胞分裂との鬩(せめ)ぎ合ひの結果球体とは全く異なる姿形になったのじゃないかね? さうすると如何しても秩序には《死》がくっ付いて離れないのじゃないかと思ってね?
――つまり、《死》無くして秩序はあり得ぬと?
――ああ、さうさ。《死》あればこそ秩序は保たれる……。付かぬことを尋ねるが、《死》は秩序かね、それとも渾沌かね?
――ふっふっふっ。《死》は秩序でも渾沌でもないのじゃないかね?
――すると《死》は何かね?
――《生》を《生》たらしめるその礎さ。
――《死》が《生》の礎だとすると《死》は間違ひなく秩序の領分だぜ。
――へっ、どっちでも構はないじゃないかね? 所詮、秩序と渾沌は紙一重の違ひしかないのさ。
――つまり、秩序は渾沌を、渾沌は秩序を、換言すれば、《生》は《死》を、《死》は《生》を内包してゐなければ、そもそも《存在》は《存在》し得ぬといふことかね?
――へっ、《存在》は詰まる所、《虚しいもの》ではないのかね?
――それは、ちぇっ、約(つづ)めて言へば二元論的な考へはそもそもあり得ず、もしも二元論的なる《もの》があれば、それは捨て去れと?
――ああ。秩序は渾沌を、渾沌は秩序を、《生》は《死》を、《死》は《生》を、そして、《存在》は《虚無》若しくは《無》を、《虚無》若しくは《無》は《存在》を「先験的」に内包してゐる。つまり、《吾》は《他》を、《他》は《吾》を元来内包せずには此の世に出現すらしてゐない筈さ。
――それは、詰まる所、陰陽五行説の太極に至るといふことかね?
――ああ、さうさ。陰陽魚太極図こそ、此の世といふ《もの》の正体を象徴的に表はした《もの》の一つだ。
――へっ、弁証法ではやはり駄目かね?
――弁証法では此の世を論理的には絶対に語れない。つまり、正の中に反が、反の中に正が内在してゐる前提で物事を語らなければ、何事も始まらないのさ。
――へっ、つまり、正反合は嘘っ八だと?
――ああ。正反合こそ物事の正体を捕まへ損ねる諸悪の根源さ。
――つまり、此の世の事は二律背反からでしか語り始められぬと?
――さうさ。カントはそれに薄々気付いてゐた筈さ。此の世を語るには二律背反から始めるしかないとね。
――しかし、人類に二律背反を語り果せる語彙若しくはその言語を基にした思考があるかね? 二律背反は何処まで行っても二律背反のままだぜ。
――無いならば新しく創出すればいいのさ。
――創出すればいいとお前は簡単に言ふが、新たな言語若しくはその言語を基にした思考法を創出するのは困難極まりない難事だぜ。
――しかし、《吾》は、へっ、《存在》の縁に既に追ひ詰められてしまってゐる《吾》は、最早、その難事を成し遂げなければ生き残れないのさ。人類は元々言語が音声といふ《波》と文字の字画といふ《量子》から成り立つやうになったことからも思考は必然的にさうなるに決まってゐた一つの例証として、科学の分野での量子「色」力学若しくは場の量子論へと漸く行き着いたじゃないか。更に更に人類は超弦理論や過剰次元といふ理論へと飛躍を遂げて、へっ、さうなれば《吾》が生き残るための新たな言語若しくはその言語を基にした論理的なる思考法を創出するのは簡単至極なことさ。
――えっ、生き残る為の言語若しくはその言語を基にした思考法? ……別に《主体》が生き残る必然性は……何処にも無いのじゃないかね……?
――ちぇっ、俺は《主体》とは一言も言ってないぜ。へっ、むしろ《主体》なんぞはさっさと死んでしまへばいいのさ。しかし、此の世の森羅万象に《存在》する《吾》といふ代物は、此の世の衰滅を見届ける義務がある。
――これは愚問だが、《主体》は《吾》ではないのかね?
――《主体》は《客体》を排他するから《吾》ではないよ。
――つまり、《吾》とは「先験的」に《他》を内包してゐる《もの》だと?
――ああ。《吾》こそ《他》を内包してゐる、例へば陰陽魚太極図のあの目玉模様そのものさ。
――そして、秩序の中には渾沌を、渾沌の中には秩序をだらう? しかし……それは《破滅》を意味するのではないのかい?
(三十七の篇終はり)