――しかし、《主体》自ら進んで《存在》の人身御供となったところで、此の悪意に満ちた宇宙は皮肉に満ちた薄笑ひをその無限相に浮かべて眦一つ動かさずに人身御供として供された《存在》の生贄をぺろりと呑み込んで、後は何事もなかったかの如く知らん顔してるぜ。つまり、此の悪意に満ちた宇宙にとって人身御供は当たり前の日常茶飯事に過ぎぬのさ。
――ふっふっ、当然だらう。しかし、それでも《主体》たる《吾》は未だ出現ならざる《もの》達の為にも何としても人身御供になるしかないのさ。
――しかし、それで《他》は満足か?
――いいや。《他》にとって《吾》の人身御供は百害あって一利なしの厄介《もの》さ。
――それはまた如何して?
――《他》もまた《吾》の人身御供の巻き添へを食ふからさ。
――なあ、これは愚問だが、《主体》たる《吾》が人身御供としてその身を《存在》の生贄にするのは、此の悪意に満ちた宇宙への当て付けに過ぎず、へっ、それは結局のところ、何の効果も齎さない全く無意味な事に過ぎぬのぢゃないかね?
――ふっふっ、その通りさ。しかし、それでも《主体》たる《吾》は身命を賭しても己の《存在》を確かめたい《もの》に生まれつき出来ちまってゐる。さて、これを如何とする?
――それは、《吾》は絶えず《吾》を捨てて《吾》ならざる《吾》といふ全く矛盾に満ちた事を夢想する《存在》だからだらう。それ故《吾》たる《存在》に過ぎぬその《存在》は惜しげもなく人身御供として此の悪意に満ちた宇宙に生贄としてその身を「返納」するのさ。
――つまり、それは何処まで行っても《他》でしかない此の宇宙に入水(じゅすい)するといふことかね?
――或るひはさうかもしれぬが、《吾》が此の悪意に満ちた宇宙にその《存在》を人身御供としてその身を供する事は、《吾》が《吾》であることを断念する一つの方法に違ひないのさ。
――これも愚問だが、《吾》は何故その《存在》を人身御供に処するのか? つまり、《吾》は《存在》の人身御供となることで《吾》は、ちぇっ、本音のところでは「悲劇の主人公」になったといふ大いなる錯覚の中で、己の《存在》を滅したいからに過ぎぬのぢゃないのかね?
――ふっ、それは当然だらう。《吾》が《吾》でしかないと認識しちまった《もの》は、その《存在》が滅する時は如何あっても「悲劇の主人公」でなくちゃならいなのさ。
――まあ、よい。それよりも人身御供としてその《存在》を此の悪意に満ちた宇宙に犠牲にしたその《吾》の《個時空》は、虚空の中で主のゐない、そして、何時果てるとも知れぬ渦として、消えてはまた渦巻く事を未来永劫繰り返してゐるのかな?
――幾つもの目玉模様が鏤められた孔雀の雄の羽を思ひ描けば、それが人身御供としてその《吾》といふ《存在》を此の悪意に満ちた宇宙に生贄として捧げし《もの》達の《吾》の滅した後の《個時空》の虚空の中での有様さ。
――その根拠は?
――《個時空》の墓場とは土台そんな《もの》さ。
――だから、その根拠は?
――何となくそんな気がするぢゃ駄目かね?
――つまり、お前の夢想に過ぎぬといふことだらう?
――なあ、これも愚問だが、お前は幽霊の、つまり、霊体の《存在》を認めるかね?
――藪から棒に何かね? しかし、うむ。多分だが、《存在》は死滅しても、星の死滅後の様相と、つまり、星の死後にも厳然と白色矮星やら中性子星やらBlack hole(ブラックホール)やらが《存在》することから推し量れば、当然幽霊などの霊体は《存在》の死滅後に《存在》すると看做した方が自然な気がするがね。
――つまり、幽霊などの霊体の《存在》を認める訳だね?
――《存在》すると看做した方が自然なだけさ。それに幽霊が此の世に《存在》する方が此の世が断然面白くなるぢゃないか。
――其処で雄の孔雀の羽だか……。主が死滅した《個時空》の有様は、何処とも知れぬ虚空の中で人知れず未來永劫ひっそりと渦巻いてゐる……違ふかね?
――しかし、それぢゃ、空想の域を脱してゐない……、ちぇっ。
――へっへっへっ、それで結構ぢゃないか? 死後の彼の世の事なぞ想像の手に委ねたままである方が、現在《存在》しちまった《もの》にとっては返って有益に違ひないのさ。此の世で死んでも彼の世があれば《吾》から脱せられるといふ希望を抱けるといふものさ。
――それはまた何故?
――へっ、それは死滅した後も《個時空》を《吾》たる《もの》が担ふと考へることに、へっ、この《吾》共はもういい加減うんざりしてゐるのさ。
(七の篇終はり)
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