――ふっふっふっ。再び堂々巡りだぜ。
と、彼は瞼を閉ぢたまま其処で深々と一息、それは恰も空気を胸の奥の奥の奥の隅々まで行き渡らせるかの如くであったが、息を吸ひ込んだかと思ふと、
――ふ〜〜〜う。
と、ゆっくり息を吐いたのであった。それは誠に誠に深々とした深呼吸なのであった。すると彼の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に棲み付いてゐたであらう《異形の吾》共が一斉に哄笑してゐるその嗤ひ声が聞こえる気がするのであった。
――ふっ、笑ふ門には福来る……か――。
と、彼は朧に、しかし、反射的に福なる《もの》を彼の頭蓋内の闇たる五蘊場に形象しようと試みるのであったが、唯、五蘊場に棲み付いてゐるであらう《異形の吾》共の哄笑してゐるその醜悪ながらも気持ち良ささうなその見知らぬ《他人》の顔の群像に満ちた内界たる五蘊場の様相を瞼裡に彼は見てしまふと、
――はて、《吾》とはそもそもこの見知らぬ《他人》の顔をした《異形の吾》共なのであらうか?
といふ、自己同一性といふ《吾》の《存在》のその根本に関はる問ひにぶち当たるのであった。勿論、彼が一息深々と深呼吸をした時点で既にそれまで蜿蜒と続けられてゐた下らぬ自問自答の表象は一瞬にして霧散したのはいふまでもないことであった。
――はて、俺は何を自問自答してゐたのであらうか?
既に闇であることに堪へ切れずに淡い淡い淡い微小な光の群れが浮き出してしまってゐた瞼裡の闇には、その淡い微小の光の群れで象られ或る輪郭として浮き出した彼の見知らぬ《他人》の顔相が現はれては消え、再び前とは違ふ彼の見知らぬ《他人》の顔相が現はれることを繰り返してゐたのであった。
――こいつ等も俺の異形か……。
――ぷふぃ。お前は何面相の《吾》たることを宿命付けられし《主体》だと思ふ?
――さあね。何面相かなんて問題ぢゃないだらう。
――ぷふぃ。さあね、と来たか。お前は一度も「俺はこれまでの全宇宙史に出現した《存在》全ての異形を持つ《無限相》の《吾》だ!」と考へたことはなかったのかね?
――へっ、それはお前の方が良く知ってゐる筈だがね。
――ぷふぃ。お前はこれまでの全宇宙史において出現した《存在》のどれ一つを欠いてもお前は此の世に《存在》出来なかった。それは認めるね?
――当然だらう。
――当然か……。すると、これは極端な話だがそれを承知で言ふと、お前は全宇宙史を背負って此の世に立つ覚悟はあるんだね?
――其処さ、俺が腑に落ちぬのは。何故此の世に《存在》しちまった《もの》はそれが何であれ皆全宇宙史を背負はなければならないのだ!
――ぷふぃ。本当のところを言へば、背負ふ必要なんかこれっぽっちも無いぜ。そんな《もの》は神に呉れちまふがいいのさ。
――神に呉れちまふ? つまり、《存在》の役割分担をせよといふことかね?
――さうさ。歯車の如く《存在》した方が気が《楽》だらう?
――それは、つまり、神若しくは神々を頂点としたPyramid(ピラミッド)型の厳然とした階級制といふ名の封建制といふことかね?
――何を持って封建と言ってゐるのかね? 無論その封建は領地ではないんだらう?
――ぷふい。「苦悩による苦悩の封建制」さ。
――ぷふぃ。「苦悩の封建制」と来たもんだ。当然その「苦悩による苦悩の封建制」では神若しくは神々が全宇宙史に亙る《苦悩》を背負ひ、その他大勢の《存在》は己の事にかまけてゐればいいといふ、ふん、《主体》天国の「苦悩による苦悩の封建制」なんだらう?
――いや、神若しくは神々は一つも《苦悩》は背負はない「苦悩による苦悩の封建制」さ。
――それぢゃあ、つまり、神若しくは神々と《主体》の立場が逆転した「苦悩による苦悩の封建制」か――。
――つまり、神若しくは神々が一つも《苦悩》を背負はぬといふ事は、《吾》たる《主体》なる《もの》が各々全宇宙史に亙った全《苦悩》を各々が背負ふ「苦悩による苦悩の封建制」さ。
――換言すれば、お前の言ふ「苦悩による苦悩の封建制」とは神若しくは神々を、例へば人間等の全《存在》の呪縛から解き放ってやり神若しくは神々に全きの自由を与へるといふ事だな。
――ああ、さうさ。例へば十字架に磔刑されたイエス・キリストを未来永劫に亙って《人類》に縛り付ける事はイエスにとっては最早《地獄》でしかなく、イエスをその《地獄》から解放してあげねばならぬのだ、この愚劣極まりない《主体》は!
(四十四の篇終はり)
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