――うむ。はて、時は神の発動の一つではなかったのじゃないかね?
――さう言へば俺かお前、ちぇっ、どっちにしろ私に過ぎぬが、その私は先に重力と時間が神だと言ってゐたな、へっへっへっ。
――ふっふっふっ。
――俺かお前かのどちらが言ったにせよ、例へばの話で神は重力と時間と言ったまでだらう。当然の事、先にも言った通り「神=(重力と時間)」ではない。
――では何故神は此の世を創造し、此の世の開闢と同時に時を進めて最早此の宇宙が死滅しても、時のみが未来永劫に亙って相変はらず移ろふかの如き《もの》として《世界》を創造したのかね?
――それに加へてかう言いたいんだらう。へっ、そして神自らも何故に時の奴隷に成り下がったのかと――。
――さうさ。何故神は自ら進んで――俺にはさう思へるんだがね――その神は時の奴隷に成ることを甘んじて受け入れたのかね?
――ふっ、答へは簡単明瞭さ。神自ら此の宇宙若しくは《世界》を神すらも制御不可能な《もの》に神はしたかったのさ。つまり、神は自ら進んで此の宇宙若しくは《世界》を神の御手では最早どうしやうもない制御不可能な《もの》にせずにはゐられなかったのさ。
――ふむ。それは何故にかね?
――逆に尋ねるが、お前はお前の未来が全て千里眼の如くお見通しだとすると、お前はお前の《存在》に飽きないかね?
――《存在》に飽きるとは?
――つまり、変容する自由がない、換言すると《一》=《一》が見事に成立する《完成》した《もの》として、お前が《存在》することにお前は何の不満も抱かぬのかね?
――つまり、時が自由を保障すると?
――いいや。時は何も保障はしない。唯、時は移ろひ、その時の大河の表層で《個時空》のカルマン渦が渦巻くのみさ。だが、時が移ろひ、あらゆる《もの》が時に隷属することで自由が辛うじて生まれるとしたならば、お前は如何する?
――如何するといふと?
――つまり、お前は《未完成》で自由な、換言すれば変容可能な《存在》を選ぶか、《完成》して変容不可能で不自由な《存在》を選ぶか、どちらを望む?
――へっへっへっへっ。自由を弐者択一の問ひに還元しちまっていいのかい?
――しかし、《完成》した《もの》には、換言すれば《完璧》な《存在》には最早自由は不必要な筈さ。
――つまり、神すらも時に隷属することで自由なる《吾》たる《存在》を選んだといふことかね?
――ふっ、神は此の世の開闢時に既に《完璧》な《完成品》たる《存在》を、つまり、神自身に匹敵する《もの》を創り上げてしまってゐて、この《完成品》を手持ち無沙汰の挙句に更に捏ね繰り回して更なる《完璧》な《存在》を創造したはいいが、それが余りにも下らない代物だったので、無責任にも神はそれを抛り投げてしまって、その《完璧》なる創造物をぶち壊す為に神は神の鉄槌の一撃をその《完璧》なる創造物に加へて、へっ、神の制御が効かぬBig bang(ビッグバン)をおっ始めて時が移ろひ始めたとしたならば、さて、お前は、その神の行為を許せるかね?
――神を許す? これは異な事を言ふ。神を許すも何もそれは俺の権限が及ばぬこと、つまり、それは俺の埒外の事だ。まあよい。するとお前は、此の世の開闢以前に神は《完璧》な《完成品》たる創造物、ちぇっ、つまり、完全無比で《完璧》な《存在》を創り上げたと考へてゐるのかね?
――ああ。此の世を現在統べてゐる神若しくは神々はその残滓若しくは残党だと思はないかい?
――でも、先に時が移ろふのは此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》が《完成》した《もの》を創造する為だと言った筈だがね。
――さうさ。しかし、神若しくは神々は自らの御手の力の及ばぬ処で此の世の開闢以前の神若しくは神々が自ら創り上げた《完璧》な創造物以上の《もの》が創造されるのかをその目で見たくなったのさ。だから、神若しくは神々は此の時が移ろふ宇宙若しくは《世界》の様相には興味津々な筈だ。しかし、その為には神自らの手で創り上げた《完璧》な《もの》をぶち壊さずにはゐられなかった。へっ、その結果が現在の此の世の有様さ。
――つまり、現在此の世に鎮座坐しまする神若しくは神々は此の世の開闢以前に此の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔だと?
――ふっふっふっふっ、此の世の開闢以前の此の世とは一体全体何のことなのか解からぬが、神若しくは神々は此の世の開闢以前の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔には違ひない。へっ、まあそんな事より、全きの自由は不自由と何ら変はらぬとは思はないかい?
――へっへっへっへっ、ご名答。全きの自由は不自由と同義語か若しくは不自由の別称だよ。その好例が現在此の世を統べる神若しくは神々さ。
――しかし、神は此の世の開闢以前の《完璧》な《完成品》たる創造物といふ《存在》の末裔故に全きの自由、つまり、不自由に我慢しなければならぬ宿命を負ってゐる、違ふかね?
――それを換言するとだ、此の世の《存在》の典型として先づは神若しくは神々在りきなのだとすると、さて、お前は神に成りたいかね?
――いいや。神なんぞには成りたくないよ。ところが、《主体》は全きの自由を前にして立ち竦んで、二進も三進も行かない、つまり、どん詰まりの処に自らを追ひ詰めてしまった……。
――どん詰まりといふと?
――これも何度となく言ってゐる筈だが、《存在》の縁さ。
(四十三の篇終はり)
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