――へっ、そもそも《吾》とは《吾》に怯えるやうに創られてゐる《もの》じゃないかね?
――それは「先験的」にかね?
――ああ。《吾》たる《もの》、《吾》が怖くて仕様がないくせに、否、《吾》が《吾》たることの暴走、へっ、それは《存在》を散々苦しめて来たのだが、例へば、それはユダヤの民におけるヒトラーの如き悪魔的《存在》へと不意に《吾》が暴走しないかと《吾》は絶えず《吾》に怯えてゐるくせに、それでゐて《吾》は《吾》に縋り付く外ない己を「へっへっへっ」と力無く薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべて《吾》の《他》への変容を夢見る矛盾を抱へながら、此の世に《存在》することを強ひられてゐる。
――何に強ひられてゐるのか?
――さあ、何かな……。
――何かな?
――それが何かは解からぬが、《主体》はそれを或る時は《客体》と呼び、或る時は《対自》と呼び、また或る時は此の世の《摂理》と呼び、また或る時は《神》と呼んでゐるがね。なあ、ひと度此の世に《存在》した《もの》が、それ自身滅亡するまで《存在》することを強ひられる矛盾を、何としたものかね?
――へっ、《存在》がそもそも矛盾だと思ふかい?
――当然だらう。《存在》とは元来矛盾してゐなければ《存在》といふ、へっ、曲芸なぞ出来っこないぜ。
――《存在》は曲芸かね?
――ああ。Circus(サーカス)の曲芸みたいに、時に空中ブランコの乗り手として、時に綱渡りの渡り手として、時に玉乗りの乗り手としてしか《存在》の有様なぞありっこないぜ。
――へっ、ひと度此の世に《存在》した《もの》は腹を括れと?
――何をもってして腹を括れと?
――《吾》をもってしてではないのかね?
――へっ、「《吾》然り!」ってか?
――ああ、「《吾》然り!」だ。
――しかし、その《吾》が元来矛盾してゐるんだぜ。
――だからこそ尚更「《吾》然り!」と呪文を唱へるのさ。
――呪文?
――さう、呪文だ。
――「《吾》然り!」と呪文を唱へて何を呪ふのか?
――当然、この宇宙自体さ。
――それは《神》ではないのかね?
――別に《神》と呼んでも構はない。
――「《吾》然り!」は「《他》然り!」と同義語じゃないかね?
――勿論。《吾》があれば必然的に《他》のあるのが道理だ。
――ちぇっ、《吾》は《吾》を是認する以外に《他》を是認出来ない馬鹿者か?
――へっ、当然だらう。《吾》程馬鹿げた《存在》はありゃしないぜ。
――その大うつけの《吾》が「《吾》然り!」と呪文を唱へて《他》の《存在》を是認するとしてもだ、《吾》はそれでも《吾》たる《存在》をちっとも信用してゐないんじゃないかね?
――当然だらう。《吾》が《吾》を公然と肯定してゐる有様程醜悪極まりなく反吐を吐きさうになる《存在》はありゃしないさ。
――それでも《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へろと?
――ふっふっふっ。何の為に《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へるか解かるかい?
――いや。
――創造の為には幾ら《存在》を滅ぼさうが何ともないこの悪意に満ち満ちた宇宙をびくつかせる為に決まってをらうが――。
――へっ、やっと本音を吐いたね。今こそこの宇宙に《吾》は反旗を翻せといふお前の本音を。
――この宇宙に反旗を翻すこと以外に《吾》の《存在》の意味があるのかい? ひと度此の世に《存在》してしまった《もの》は、次世代の創造の為にもこの宇宙に反旗を翻して痩せ我慢する以外に何かを創造することなんぞ不可能じゃないかね?
――へっ、その創造の為に《吾》は人身御供になれと?
――ああ。残念ながら《吾》たる《存在》は絶えずさうやって連綿と《存在》して来てしまったのじゃないかね?
(六の篇終はり)
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