――さう看做した方が自然だらう。
――「初めに念生まれし」。
――さて、それは何の呪文かね?
――いや何ね、創世記なる《もの》をでっち上げようと思ってね。
――「初めに無在りき」、ではないのかね?
――いや、永劫といふ時空の相の下では、つまり、無時空において、幽かな幽かな幽かな念なる《もの》が不意に生まれてしまふのさ。そのやうに不意に時空なる《もの》が生まれる契機が《存在》しちまったに相違ない。ぢゃなきゃ、此の宇宙は生まれる筈はなかった……。
――それはまた何故かね?
――永劫といふ時空を与へられし無時空において、否が応にもその無時空は《吾》といふ念へと生長してしまふその念の萌芽が、不意に、それは不意にでなければならぬ筈だが、つまり、此岸と彼岸の間(あはひ)が不意に生まれてしまったに違ひないのさ。
――詰まる所、その念は《吾》へと志向するのだね?
――いや、《吾》への志向はもっと後の事に相違ない。ちぇっ、否、むむっ、念など嘘っぱちだ。くっ、如何あっても私の想像力では特異点の壁は越えられぬ――、ちぇっ。特異点と聞いただけで思考停止になっちまふ、このぼんくらの頭蓋内は。
――それはむしろ当然だらう。未だに何人たりとも、否、何《もの》も特異点のその状態を想像し論理的に語り果(おほ)せた《もの》はゐない筈だからな。
――「初めに何もない自他無境の無時空が無と無限の相がぴたりと重なりし摩訶不思議の中に《未存在》のみがゆったりとたゆたふ神若しくは神々のゐない、それでゐて神話的なる《存在》の、否、《未存在》の「黄金時代」が永劫の相の下に《無=存在》せし」。
――つまり、「初めに初めもなければ終はりもなく、そして何もない事象が在りき」、だらう。さて、其処には、しかし、大問題が潜んでゐる。つまり、何もない処に此の宇宙の全Energie(エネルギー)を或る一点に凝縮した特異点なる《もの》が《存在》しなけりゃならない訳だが、無とその特異点とを如何橋渡しするのかね?
――うむ。多分、無時空が無時空なることに「ぷふぃ。」と思わず笑ひ声を発した刹那、big bang(ビッグバン)がおっ始まってしまったに違ひない。そして、その時の無時空の後悔若しくは懊悩は量り知れぬ程に深かった筈だ。
――そして、その刹那、自同律の不快が始まった……。
――むっ。それは何故にかね?
――無時空の相が時空へとその様相を一変させた刹那、《吾》と《他》もまた発生してしまったに違ひないからさ。
――さうして自同律の不快が始まった――か。
――へっへっへっ。そんなんぢゃ、科学的な理論に堪へ得ぬぜ。ちぇっ、無時空が無時空なることの愉悦から思はず「ぷふぃ。」と笑い声を発してしまっただと?
――しかし、零たる無と∞たる無限がぴたりと重なった様相において無時空は無時空なることに無上の悦びを感じてしまった筈だ。
――つまり、お前の見方だと、特異点は無上の悦びに満ちてゐることになるが、それはまた何故かね?
――だって零たる無と∞たる無限の相がぴたりと重なってゐるんだぜ。
――それが如何したと言ふのか。無時空における特異点ではそれは当り前の事でしかなく、詰まる所、無と無限の相がぴたりと重なってゐることに無上の愉悦を感ずる道理はない筈だぜ。それ以前に無時空は意識を持つのかね?
――さあ、それは解からぬ……が、しかし、無時空に意識が《存在》しても不思議ではない。まあ、無時空に意識が《存在》してゐようがゐまいがとちらにせよ、無時空が無時空たる事を已めた故に此の宇宙が誕生したのは間違ひない筈だ。しかしながら、特異点たるbig bangを如何説明すればよいのか……?
――何らかの理由で、恒常不変で無と無限がぴたりと重なりし無時空は最早恒常不変ではゐられなくなったのだらう。
――その理由とは?
――己に飽き飽きしたといふのは如何かね?
――からかってゐるのか?
――いや、何ね、無時空は恒常不変なる事を断念し、諸行無常に己の存在理由を見出してしまったのだらう。
――だからそれは何故にかね?
――多分、無時空は《吾》なる《もの》の底無しの深淵を覗き込んでしまったからに違ひない……。
(四十七の篇終はり)
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