――つまり、奇怪、且、異常極まりない《主体》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で次々に埋め尽くされた張りぼてに過ぎぬ外界たる《世界》を、ふっ、それは正に狂気の沙汰に違ひないが、そんな奇怪、且、異常な《世界》を恰も正常な《世界》であるかの如く看做す為には感覚を麻痺させる《楽》が必要で、さうして《楽》を追ひ求める内に、《吾》は見事に《吾》の在処を見失ふことが出来たといふ何たる皮肉!
――……。
――なあ、お前は《吾》を裏切らない張りぼての《現実》を《現実》と認めるかね?
――つまり、《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で外界を埋め尽くすことで誕生した裏切らない《現実》を《吾》は漸く作り上げたとでも思へといふことかね?
――いいや。《吾》の頭蓋内が外在化した張りぼてに過ぎぬ《世界》でも時が移ろふ以上、《世界》は《吾》を絶えず裏切り続けるさ。唯、《吾》を裏切らない《世界》といふ名の《現実》が実現可能な如く想定する《吾》の《存在》を認めるかと尋ねたまでさ。
――つまり、それは寝ても醒めても《吾》は夢の中にゐ続けるといふことかね?
――さう。しかし、夢は夢でもそれが悪夢だとしたならば、お前はその悪夢の《現実》を《現実》と認めるかね?
――ふっ、どの道それを《現実》と認めるしかないんだらう? 《主体》はそれが何であれ自律する《もの》であるならばだ、《世界》を如何にかして《主体》に都合のいい《世界》へと作り変へる《主体》の壮大な欲望を如何することも出来やしないぜ。
――つまり、《主体》はその誕生から既に《世界》を《主体》内部の、例へば頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くすべく《存在》させられてゐると?
――さうさ。ちぇっ、創造の為にね――。
――創造? それは何の創造かね?
――へっ、これまでに此の世に《存在》した事が無い《もの》の創造に決まってをらうが!
――つまり、此の宇宙、それを例へば神と名付ければ、神は絶えず《主体》に創造を課してゐるのさ。
――絶えず頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅することを已めない儚き表象群の如く、此の宇宙を神の五蘊場だと仮定すれば、その神の五蘊場にも絶えず《もの》の表象群が生滅し、これまで此の世に《存在》しなかった《もの》を創造するべく新たな《もの》が絶えず此の世に生成してゐるなら、ふっ、つまり、《主体》はそれが何であれ創造の為に神の五蘊場に《存在》させられ、その上、永劫に未完成な《もの》しか創れない神にとって、へっ、つまり、神は未完成品とはいへ新たな《もの》を次々と創り最後には完成品たる《もの》が創れる可能性が在ると信ずる以外に最早永劫に満たされぬのではないかね?
――神が満たされる? ぶはっはっはっはっ。例へば時間一つをとってもそれは火を見るより明らかなのだが、神程貪婪な《存在》は無いんぢゃないかね?
――その神の貪婪さ故に創られたのが此の宇宙の今の有様だと?
――所詮、《存在》しちまった《主体》は、それが何であれ、神の五蘊場で思考実験されるべく此の世に《存在》させられた実験体の一つに過ぎぬのさ。
――そして、《主体》自体も絶えず何《もの》かへの変容を課されてゐる。それは何故かね?
――へっ、それは多分、神のほんの些細な罪滅ぼしだらう。
――神の罪滅ぼし?
――ああ。未完成品としてしか《存在》させることが出来なかった《主体》が、それでも尚、自ら《完成》するべく変容する余地を残して神が《主体》を《存在》させるに違ひない。
――それは、つまり、神が《主体》たる《もの》を《存在》させることに対しては常に後ろめたいと感じてゐる為かね?
――或るひはさうかもしれぬが、《主体》は《主体》で神、つまり、此の宇宙若しくは《世界》から自立するべく、《主体》の五蘊場に明滅する表象群を外在化して《主体》の内外をその表象群で自閉し、完結させるといふ如何しようもない欲求を満たすべく、《世界》を作り変へ、そして《主体》もその《世界》に順応するべく変容する。
――へっ、さうしてこれまで此の世に《存在》した事がなかった《もの》を創造するってか――。ちぇっ、さうまでして此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》は、何か新しい《もの》を創造したいのか?
――さうさ。それ故、最早時は移ろふことを已めない。
――何故に時は移ろふ?
――此の宇宙若しくは《世界》若しくは神が死滅するまでに完成品を何としても誕生させたいが為さ。
――ちぇっ、時の前では全てが奴隷か――。
――さうさ。時の前では最早神さへも奴隷に過ぎない。
(四十二の篇終はり)
自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp