――つまり、多神教の神々は或る時には地上に舞ひ降り《主体》たる《もの》達と戯れ遊ぶが、一神教の神は天上に坐(おは)したまま決して地上になんぞ舞ひ降りぬ、換言すると《主体》たる《もの》達とは超越した《存在》として此の世に坐すといふことか?
――一言で言へば、多神教の世界像には数多の宇宙が《存在》してゐることを何となく前提にしてゐると思はれるが、つまり、この宇宙には涯があって《他》の神々が坐す《他》の宇宙の《存在》を暗示するが、一神教の世界像においてこの宇宙は涯無き《もの》として何処までもこの宇宙のみが茫洋と拡がるばかりの《吾》しかゐない、へっ、《主体》の化け物が出現してしまふおっかない世界像なのさ。
――一神教の世界像がおっかない? 《主体》の化け物?
――多神教の世界像は《他》の《存在》無くしてはあり得ぬが、一神教の世界像には《他》の《存在》が究極のところでは否定される運命にあるおっかない世界像なのさ。
――否、一神教の世界像にも《他》は《存在》可能だぜ。
――しかし、その《他》は詰まる所、《吾》の鏡像でしかない。《主体》における《他》は即ち神へと一気に飛躍しちまふ怖さが一神教にはそもそも《存在》するといふことが、お前にも解かるだらう?
――つまり、一神教においてのみ狂信者は出現すると?
――多神教でも神々が序列化されて、その位が固定化すれば狂信者は出現するぜ。
――さう言へば多神教においての階級社会は酷いものだな。
――それは《主体》が何時でも化け物と化す怖さを知ってゐた所為さ。
――すると、《主体》は如何あっても神によって馴致されなければ化け物に化すとんでもない代物といふことか?
――ああ。人類を例に出せば、人類は《主体》の悍(おぞ)ましさを既に嫌といふ程に知ってゐる筈さ。
――それはドストエフスキイか?
――それにヒトラーさ。スターリンさ。この国の天皇を一神で絶対の現人神(あらひとがみ)と崇めて絶対化する天皇絶対主義者さ。へっ、《主体》の化け物の類例には枚挙に暇がないぜ。
――しかし、ちぇっ、神に圧制される方が良いのか、化け物と化した《主体》に圧制されるのが良いのか――。
――それもこれも全て一神教での話さ。
――それは何故かね。
――多神教の世界では、神々のみで既に世界は完結してゐると先に言ったが、つまり、多神教の世界には《主体》の《存在》は元々無いのさ。其処に此の世に如何した訳か生まれ落ちてしまった《主体》は神々が創り維持する世界にお邪魔する。
――はっはっはっ。世界にお邪魔するだと?
――別に可笑しかないぜ。元来《主体》とは世界にお邪魔するといふ作法において此の世に《存在》することを許される《もの》さ。
――へっ、神に許される――か――。
――否、神々が坐す世界自体にさ。
――つまり、《主体》が世界に《存在》するには、それなりの《存在》の作法があると?
――諸行無常たることを已められぬ、つまり、絶えず己に不満を抱いて《他》若しくは《異》へと変容するこの世界=内に《存在》する以上、《主体》たる《もの》は、絶えず自同律を突き付けられる以外に此の世界に《存在》することは許されぬのさ。
――既にドストエフスキイが、その煩悶とする《吾》を描いてゐるか――。
――否、世界はその開闢の時に既に自同律の問題に直面し呻吟した筈さ。さうでなければ、時が移らふ諸行無常なる世界なんぞ創生などされる筈はない!
――へっへっへっ、世界じゃなく神自体が自同律の問題に今も懊悩してゐるんじゃないかね?
――ふっ、さうさ。これは愚問だが、お前にとって神とはそもそも何かね?
――重力と時間さ。
――重力と時間?
――どちらも計測は出来るが、ちぇっ、その計測の仕方が人間の、否、《主体》の思考法を鋳型に嵌め込んだだけに過ぎぬが、へっ、つまり、どちらも計測は出来るがその因は未だに不明だからさ。
(三十五の篇終はり)