――実際、己が己に抱く妄想は止めやうがなく、己が己に対する妄想は自然と自己増殖せずにはゐられぬものさ。深海生物のその奇怪な姿形こそが己が己に対して抱く妄想の自己増殖が行き着いた一つの厳然とした事実とは思はぬかね?
――ふっふっ、深海生物ね……。まあ、よい。それよりも一つ付かぬことを聞くが、お前はこの宇宙以外に《他》の宇宙が《存在》すると考へるかね?
――つまり、《他》の宇宙が《存在》すればこの宇宙の膨脹はあり得ぬと?
――へっ、《他》の宇宙が仮に《存在》してもこの宇宙の《餌》でしかなかったならば?
――宇宙の《餌》? それは一体全体何のことだね?
――字義通り只管(ひたすら)この宇宙の《餌》になるべくして誕生した宇宙の事さ。
――生き物を例にして生きて《存在》する《もの》は大概口から肛門まで管上の《他》たる穴凹が内部に存在すると看做せば、その問題の《他》の宇宙をこの宇宙が喰らふといふことは、即ち、この宇宙内に《他》の宇宙の穴凹がその口をばっくりと開けてゐるといふことじゃないかね?
――ふっふっ、それはまた如何して?
――つまり、喰らふといふ行為そのものに《他》を呑み込み、《他》をその内部に《存在》することを許容する外部と通じた《他》の穴凹が、この《存在》にその口を開けてゐなければならぬのが道理だからさ。
――だから、お前はこの宇宙以外の《他》の宇宙が《存在》する可能性があると考へるのかね?
――当然だらう。
――当然?
――《他》の宇宙、ちぇっ、それはこの宇宙の《餌》かもしれぬが、《他》の宇宙無くしてはこの宇宙が《吾》といふことを認識する屈辱を味はひはしないじゃないか!
――やはり、《吾》が《吾》を認識することは屈辱かね?
――ああ。屈辱でなくして如何する?
――ふっふっ、やはり屈辱なのか、この不快な感覚は――。まあ、それはともかく、お前はこの宇宙以外の《他》の宇宙が《存在》する可能性は認める訳だね?
――多分だか、必ず《他》の宇宙は《存在》する筈さ。
――それはまた如何してさう言ひ切れるのかね?
――それは、この宇宙に《吾》であるといふことを屈辱を持って噛み締めながらも如何しても《存在》しちまふ《もの》共が厳然と《存在》するからさ。
――《吾》が《存在》するには必ず《他》が《存在》すると?
――ああ。《他》無くして《吾》無しだ。
――すると、この宇宙が生きてゐるならばこの宇宙には必ず《他》に開かれた穴凹が《存在》する筈だが?
――へっ、この《吾》といふ《存在》自体がこの宇宙に開いた穴凹じゃないかね?
――それは《特異点》の問題だらう?
――さうさ。《存在》は必ず《特異点》を隠し持たなければ、此の世に《存在》するといふ《存在》そのものにある不合理を、論理的に説明するのは不可能なのさ。
――さうすると、《他》の宇宙は反物質で出来た反=宇宙なんかではちっともなく、《吾》と同様に厳然と実在する《他》といふことだね?
――例へば、巨大Black hole(ブラックホール)は何なのかね?
――ふっ、Black holeが《他》と繋がった此の世に開いた、若しくはこの宇宙に開いた穴凹であると?
――でなくて如何する?
――さうすると、銀河の中心には必ず《他》が《存在》すると?
――ああ、さう考へた方が自然だらう?
――自然?
――何故なら颱風の目の如くその中心に《他》が厳然と《存在》することで颱風の如く渦は渦を巻けると看做せるならば、例へば銀河も大概渦を巻いてゐるのだからその中心に《他》が《存在》するのは自然だらう?
――ふっ、つまり、渦の中心には《他》に開かれた穴凹が《存在》しなければ不自然だと?
――而もその《他》の穴凹は、《吾》に《垂直》に《存在》する。
――さうすると、銀河の中心では絶えず《吾》に《垂直》に《存在》する《他》の宇宙に呑み込まれるべく《吾》たる宇宙が《存在》し、さうして初めてこの宇宙が己に対する止めどない妄想を自己増殖させつつ膨脹することが可能だとお前は考へてゐるのかね? 否、その逆かな。つまり、この宇宙が絶えず己に対する《吾》といふ観念を自己増殖させて膨脹するから、その中心に例へば巨大Black holeを内在させてゐる……。さうだとするとこの耳を劈くこの宇宙の《ざわめき》は己が己を呑み込む《げっぷ》ではなく、《他》が《吾》を呑み込む、若しくは《吾》が《他》を呑み込む《げっぷ》じゃないのかね?
――ふっふっふっ、ご名答と言ひたいところだが、未だ《他》の宇宙が確実に此の世に《存在》する観測結果が何一つない以上、この不愉快極まりない《ざわめき》は己が無理矢理にでも己を呑み込まなければならぬその己たる《吾》=宇宙が放つ《げっぷ》と看做した方が今のところは無難だらう?
――無難? へっ、己に嘘を吐くのは已めた方がいいぜ。
――嘘? 如何して嘘だと?
――へっ、お前は、実際のところ、この宇宙の《存在形式》以外の《存在形式》が必ずなくてはならぬと端から考へてゐるからさ。
――へっへっへっ、図星だね。
(六 終はり)