量子論の世界です。
自然にはすべて法則があり確定できるというのは、古典物理学の世界ですが、ミクロの世界では粒子は波の性質を持つと言われています。
よく、教科書では原子の周りをあたかも太陽と地球のように公転している電子が書かれた図を目にします。
確かに、電子を見ようとすれば粒に見えます。
しかし、誰も見ていない状態では、電子は波のような動きをしており、観測しようとした時にどこに電子の粒が現れるかは、確率的にここに現れるだろうという予測しかできません。
見る、観察するというのは、何らかの外部要因が必要になります。
例えば、粒を見るためには磁気や光を当てなければならず、それは観測対象物に対して外的要因を加えているからです。
また、電子の動きは、Aという場所に現れている状態と、Bという別の場所に現れている状態の2つの状態が同居する事もあります。
2つ同時に現れるのではなく、2つの状態が同時に存在するのです。
この事から、パラレルワールドが存在するという仮説を唱える事も可能となり、現実にその方が理論的に無理がないとも言われています。
そのため、例えば何らかの偶然によって2つの選択肢ができててしまった場合、Aという選択肢が発生した自分と、Bという選択肢が発生した自分の2つの世界が発生し、今、このブログを見ているあなたの他に、確率によって派生した他の次元のあなたが存在するという理論です。
粒子を2つに分割すると、左回りと右回りにスピンする粒子に分かれる事が確かめられていますが、エネルギーはプラスとマイナスで A+B=0 であり、分割前の粒子にそのエネルギーが保存されています。
Aのスピンがどちらに回っているかを確かめる以前の状態において、A、B それぞれがどちらに回っているかは50%の確立で左であり、50%の確率で右であるというだけで、決まってはいません。
実際にどちらに回っているかは観測した瞬間に決まります。
しかも、AとBとの距離がいかに離れていようとも、AとBはエネルギーの上では 0 にならなければならないため、片方を観測した瞬間、もう一方は瞬時に反対向きに回ります。
どうしてそうなるのかは解明されていません。
アインシュタインによれば、光よりも早い物質はあり得ないわけですが、粒子の世界では現実に起こっている現象です。
粒子が波であれば、粒子で構成されている物質、例えば人間も波の様であるかと言えば、そんな事はありません。
確かに波ではあるのですが、波のようにふるまえるのはミクロサイズの話であり、人間の様なマクロサイズな物体は、波があまりに小さいためその影響はごくわずかで、波のようにはふるまいません。
このことから、いかに高性能な巨大なコンピュータを持ってしても、自然を決定づけることはできません。
自然に関する予測は物理学的に困難なのです。
また、もし、偶然によって世界が派生しているとしたら、何十億、何百億ものパラレルワールドが存在しているのかもしれないのです。
ただし、他の世界があるかを立証する事は不可能ですから、パラレルワールドは仮説にしかなり得ません。
最後に、波の性質を持つ身近な粒子の例を挙げておきます。
先ほどの観測する前の電子が波の様なふるまいをするのとはちょっと違いますが、粒と波という点では最も適切な例でしょう。
それは、光です。
夕焼けが赤く昼間の空が青いのは光が波の様な性質を持つからですが、デジタルカメラが写るのは粒の性質を持つからなのです。
ぜひ、夕焼けを写真で撮ってみてください。
そのとき、あなたは目で波をとらえ、カメラで粒をとらえています。
すなわち、物理学を体験しているのです。