今年もまた、多大な犠牲を生んだ3月11日が巡ってきました。
6年を経過し、被災地は、岩手・宮城沿岸部、福島沿岸部、福島第一原発周辺地域と、大きく分けて3つの地域差が生じています。
■岩手、宮城沿岸部
リアス式海岸に属しており、風光明媚な海岸線を有しています。しかしながら、その地形の特性上、最大で47m(諸説あります)にも及ぶ大きな津波となり、街をまるごと飲み込んでしまいました。三陸沿岸としては比較的広い平野を持つ陸前高田市でも13.8mの津波に襲われています。
その陸前高田市では、主な居住地を山側に求める高台移転とともに、市街地のかさあげ事業を計画しました。宮古市田老、宮古市、南三陸町など、三陸沿岸や福島県の海岸に面した一部の沿岸集落なども同様です。
そのような大規模な造成を伴う地域では、今まさにその事業の真っ最中であり、土地の造成とインフラ設備が行われており、これから避難住民の再建が始まるといった状況で、復興と呼ぶにはまだ早い段階です。
一方、平野部の多い宮城沿岸では、政治的な対立が生じている地域や、農地整理等を含む複合事業を実施している一部の地域を除き、三陸沿岸に比べて比較的復興(生活再建)が進んでいると言えます。
■福島沿岸部
原発事故報道の陰に隠れたかたちの相馬市、南相馬市(旧原ノ町)やいわき市ですが、平野部の復興は進んでいるものの、まばらに点在する沿岸集落では、三陸沿岸同様の高台移転やかさ上げ事業が実施されています。
ひとつひとつの地域における規模は三陸沿岸ほどではありませんが、それだけに被害を受けた地域とそうではない地域が密接していることから、俯瞰すると見かけ上の差が大きく、心が痛む光景があちらこちらで見受けられます。
■福島第一原発周辺
福島第一原発事故により、特に大きな影響を受けたのが南相馬市から広野町に至る区間です。4月には浪江町と富岡町における一部の避難指示が解除されますが、いまだに国道6号線の一部区間は自転車やバイクの通行が規制されているほか、沿道には放射線モニタ表示板が設置されているなど、物々しい雰囲気が今でも続いています。
原発から比較的離れた地域に属し、有名なJビレッジを有する広野町では、復興事業はもとより、街の振興事業への取り組みとともに、原発というイメージのふっしょくに力を入れています。なぜなら、もともと観光に力を入れていた地域ということもあり、原発収束に向けた基地を持つイメージが、次世代に受け継ぐ街にとってマイナスイメージであるという理由です。そのJビレッジは2019年4月に全面再開する予定です。
そのほか、原発周辺の地域にとっては、帰町が進まないことによる労働人口の減少が最大の課題です。各町村では帰町に係るアンケートを随時実施しているのですが、40歳以下の住民による帰町意識が低く、具体的には50%を割り込んでいます。加えて、避難によって時が止まった数年分、これから生活インフラの再整備をしなければならないなど、復興どころか復旧が進んでいません。例えば、地域によっては(誰も住んでいないので)テレビがまだアナログ受像機のままです。
■まだらな復興感
地域の差について説明してきましたが、すべての地域において、生活スタイルの差による個人の復興感にばらつきが生まれています。
例えば、宮城県の山元町などでは、町民の足となるJR常磐線の開通に伴い、仙台圏域への通勤の足が確保され、震災以前のように生活できるようになり、そのような生活を営む方々にとっては復興したと言えるかもしれません。しかし、それは生活再建を果たした一部の住民に限ったことであり、沿岸の農地を有する地元の農家などは、農地の整備が完了し、農作物を収穫できるようになるまでは復興したとは言えない状況です。
■今後の復興
これまでも、多くの方から文字通りの多大な支援を頂きましたが、前述したとおり、ここに至って被災地域は「まだらな復興」を見せ始めています。いつまでも国に頼った復興事業はいかがなものかという声があるのも承知しておりますが、いまだ復興が成しえない地域もあるということを考慮して頂きたいとともに、被災地の復興は、私たちの年代だけではなく、むしろ次の世代の若者たちのために必要であることを、ぜひ心にとめておいて頂きたいと思います。