足かけ3か月かけて書いている記事も今日が最後です。
本来、8月の初旬に再訪問する予定だったのですが、各地で祭りが行われ、移動手段や宿の予定が立たず、今日まで延期しています。
最終回なので、真実はどこにの結論を書かなければなりませんね。
東北は様々な災害に見舞われていましたが、人間の一生と言う短い期間での教訓が生かされてきませんでした。チリ地震津波や十勝沖地震、宮城県沖地震など、大きな災害がもたらされたにも関わらず、巨大な津波は軽く堤防を越えて襲いかかってきました。
しかし、ここ20年、インターネットが発達してきた時代において、災害の教訓が生かされてきたのではないでしょうか。インターネットは技術的な要素のみならず、災害情報と民意を運ぶ船でもあったはずです。
仙台市内、例えば震度6強を記録した宮城野区では、近年建築された家屋の倒壊はありません。見るからに古い家屋は被災していますが、多くは津波による倒壊です。この耐震性は、阪神淡路大震災から多くの事を学ぶことができたからです。今ではあまり話題になりませんが、この震災の時もインターネットは活躍しました。
東北新幹線ではけが人が1名も出ず、安全に停止し、1か月と少しで全線が復旧しています。この耐震性もまた、中越地震での新幹線脱線が教訓となったものです。機会があったら新幹線の高架橋に鉄板が張り付けられているのでご覧になってください。この補強は、中越地震後にJR東日本が施したものです。おそらく、多くの方がインターネットでこの記事や画像を目にし、反響が大きかった事から実現したのでしょう。これが他国なら、脱線程度で良くやった!新幹線は安全だ!で終わるのです。しかし、日本人とはそういうものではありません。新幹線は日本人の誇りでもあるので、脱線など許すはずもないのです。もちろん良い意味で。
このような教訓は、その時にそれが話題となり、民意を動かさなければ実際の対策として実現しなかったでしょう。今回の津波も、インターネットという媒体を通じ、津波の脅威がいつでも、誰でも目に入れる事が出来ます。それは結果的に被災の記録として残り、人間の一生よりも長い時間を経て、次の世代に受け継がれていくのです。
日本人の国民性、特に東北人の我慢強さと苦境に対する強い姿勢は、ただ単に今回の震災を受け入れるだけではなく、自らが行動を起こし、淡々と復旧・復興する事で、日本内外へその強さを表明してきました。例え政治が混乱していたとしても、毎日誰もが復旧に向けて努力を続け、まるで政府をあざ笑うかのように、今日東北は力強く立ち上がろうとしています。諸外国は政府を信用していなくとも、日本国民には強い信頼感と畏敬の念を抱いているのです。
物語の真実は、インターネットやTVを通じた情報の正確さにより、人々が極めて冷静に行動できたという事。一人一人の考え方がまちまちでも、日本人には国を大事にするという意識があり、少なくとも政府が市民をコントロールしているのではないということ。それがこの大きな災害においても日本人が負けることなく立ち続けられる原動力であると感じます。
ひょっとしたら、この国は民主主義の次のステップ、まだ見ぬ高次元の国家へと向かえるのかもしれません。なぜなら、インターネットで見られる雑多な、まだ混とんとした意見や考え方が、次の世代に受け継がれるに従って整理され、言わば国民投票的な意味合いを持つ可能性があるからです。それだけこの国の住民は社会通念的なモラルを持っており、無償の愛という究極の感情を持ち合わせているからです。私は今回の震災で、行政組織の手順を抜いた支援を行う事もしましたし、国家行政が手順抜きで支援した状況も見てきました。その活動の中で、日本と言う国の可能性についてより多くの事を考えるに至りました。
被災した街が、今も続く以前のような政治のもとで再興されて行くのか、それとも戦後初めて「民意によって自立した日本」が作られていくのか、私は次世代を担う人々と共に、この国で生き、被災者を見守りたいと思います。
最後になりましたが、あらためて、この震災で亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。合掌。