陸前高田から気仙沼に向かう橋が崩落しているため、山間を迂回しなければならない。陸前高田の北から5キロほど内陸に入りると、真っ直ぐ気仙沼に向かう道路がある。この道路は大型トラックが通れないため、そのような車両は40キロ以上迂回が必要となる。
山間の自然を抜けると気仙沼の市街地に入る。瓦礫撤去の作業まっただ中であるため、沿岸部への出入りは規制されていた。気仙沼の地形や商業施設の配置は大船渡に似ており、周りの高台から海の方を見渡せる。高台の住宅は無傷で、まさに天国と地獄。
気仙沼は市であるからして大きく、本吉小泉に向かう途中にも多くの港町や集落がある。それらすべての街が無残に流されている。
この日の海はとても穏やかで、初夏の日差しを受けて美しく光っていた。こんな穏やかな海が牙をむいたとはとても思えないのだが、目の前にはその証拠である瓦礫が散在している。瓦礫と海の無情なコントラストがやるせない気持ちにさせる。
その本吉小泉にある津谷川を超える45号線の橋(橋長182m)と鉄道の陸橋も流されており、通行止めになっていた。そのため通行止めになる手前のコンビニで迂回路を教えてもらった。本吉は比較的内陸にはあるのだが、津谷川を津波が遡り被害をもたらしている。
小泉の開けた地域に出ると、目の前にモニュメントのような崩れた鉄道陸橋が現れてくる。この高さまで押し寄せた事にも驚くが、それを破壊してしまうとは、津波の威力がとほうのないものだという事を強く感じる。
小泉小学校近くの高台から小泉地区を望む風景。河口があるこの町は、いわゆる巨大堤防というものは存在しない。吉本地区は人口が11,000人余で、死者55人、行方不明者96人。避難所などはところどころにある小高い山の上に建っており、そのためか多くの人々が助かっている。
45号線は既に仮設の陸橋が建築中で、この取材を行った1か月ほど後に無事開通している。
北から南に45号国道を通ると、通行止めになっている部分がほとんど橋であることに気付く。石巻近郊でがけ崩れに見舞われてはいるが、もともと南三陸は地盤が固いのであろう。部分崩落は見られたものの、陸地での道路被害は目立ったものがなかった。
常磐自動車道が海沿いを通らず高台を通っているのは、災害時の救援物資や交通の確保を目的としているからだ。仙台市、名取市や岩沼で防波堤の役割をしたのは、そうした災害想定の副産物でしかない。災害以前に防波堤としての役割を持たせるよう提言した大学もあるようだが、残念ながら予算の関係で実現しなかった。そして、ところどころにある穴から内陸に津波が通り抜けてしまった。そうした中、県道を盛り土して津波に備えるという県の案が出されており、その有効性が実証された。
同様に、もしもという仮定には意味がないが、三陸道が全線で開通していたなら、もっと多くの人々が災害復旧に携わる事ができたであろうし、そのスピードも早かったはずだ。道路は交通という面だけではなく、市民にとっても生命線だという側面を持っている。その生命線だが、ここ数か月における政府の政策などを受けて私が感じるのは、おぼっちゃまの愚策としか思えない。「市民の命あってこその政府」であることを忘れているとしか思えないからだ。
つづく。