野田村を過ぎるとしばらく海沿いを進み、普代村を過ぎた辺りから45号国道は山間に入る。
本来は海沿いの道を行きたいところだが、ところどころで道路が寸断されており、その願いは叶わず、山間部を通って田野畑村に入る。震災前は沿岸の道路から海を臨む景色がとても良かったのだが・・・。
普代村役場は新しく、とても明るい雰囲気。災害対策本部も取材した時点では誰もいなく、復興対策に向けた組織改編が進んでいた。
普代から田野畑村の間には、小さな漁村が山間の沿岸に連なっており、村を連結している道路が崩壊しているため、震災直後は孤立したであろうと思われる。
羅賀地区も例外にもれず、かなりの高さまで津波が押し寄せたと思われる。上の写真の旅館の看板を見て頂ければその高さが判るだろう。
45号から羅賀地区に向かうには、細い山道を数キロ走らなければならない。羅賀地区への道は既に瓦礫も撤去され、道路もところどころ補修されて難なく行く事ができた。しかし、中には道がが険しくて簡単にはたどり着けない地区もある。
田野畑村の庁舎はやや古い。ただ、職員の表情は比較的明るかった。瓦礫の撤去も進み、復旧に向かっているようだ。町も平穏な雰囲気で、近くにある道の駅では工事関係者が一休みする姿があった。
震災の前、譜代から宮古までの地区というのは、昔ながらの港町が連なり、岩手リアス式海岸を味わうにはとても良い風景が続いていた。特に羅賀や鳥越は知る人ぞ知る観光地でもあり、実は、小学校の修学旅行で訪れた場所で、観光用に水中を見る船などがあった。とても懐かしい。
先のコメントで早稲田大学と田野畑村との関係について教えて頂けました。復旧支援に来て頂いたとのことです。
早稲田大学 思惟の森の会
このような地域のつながりは大事にしていきたいものです。もし、東京で大災害が起きたとき、先人がこういった活動をしていた事をとてもありがたく感じる事でしょう。情けは人のためならず、なのです。
つづく。