ちょっと宗教のお話です。
「神を試してはならない」という言葉があります。
そもそもキリストがサタンの誘惑を拒絶する際に「神を試すことはいけないことだ」という意味から来ています。
ただ、「神は受難という形で人を試す」事があるようです。
妻や子を殺し、財産を略奪しても神を信じるのかという、サタンによる受難を与えた事が聖書に書かれています。
その受難がその本人(信者)に与えられた時、信者が「なぜこれほどまでの受難を私に与えるのか」という問いに対して、神はその問いのおこがましさを諭しています。
人間はただ謙虚にその受難を受け入れば良いという事でしょう。
昨日「スパルタカス」という映画をTVで見ましたが、彼(王)は神から受難を受け戦死したのち、国は神から祝福を与えられました。
最後の戦いで敵国の王から言われた魅力的な条件は、かつてサタンがキリストを誘惑する際に語った言葉そのものなのです。
キリストと同じように、スパルタの王はその誘惑を拒絶し、あえて受難の道を選び、結果的に「王としての国が」祝福を受けました。
神を信じる人にも信じない人にも、誰にでも時々「受難」というものがあると思います。
その受難を受けてるとき、サタンが甘い言葉をかけるかもしれません。
死んでしまえば楽だとか、人を騙して楽になれとか。
しかし、その行為を行った人は未来永劫祝福されることはありません。
何事もなかったように生活ができる強い心を持つ努力をしましょう。
と、言うか・・・持ちたいものです・・・。