先日、一人で被災地を巡ってきました。(6月1日〜3日)
八戸市
漁港は既に片づけられていました。ただ、地盤のせいか、岩手沿岸の余震は仙台より体感上強く感じました。
洋野町
大きな被害はありませんが、沿岸の産業が大打撃を受けています。写真は洋野町役場です。
久慈市
堤防が功を奏し、瓦礫の撤去も進み港は復旧していました。ただ、あちらこちらに爪痕がまだ残っています。
野田村
甚大な被害があった町です。瓦礫の撤去はかなり進んでいるようですが、町は役場の前まで流されています。
同じ野田村ですが、巨大な堤防が決壊しているのが見てとれます。人の大きさと比べてみてください。
田野畑
小さな村が沿岸に点在しており、震災直後はそれぞれが孤立していたようです。弁天崎の近くにある旅館は、看板まで津波が到達しています。
宮古
湾に近い街は瓦礫の撤去も進んでいました。瓦礫を撤去してしまうと道の目印が無くなり、ナビがあっても道に迷ってしまうほどです。恥ずかしながら警戒中の警察官に教えてもらいました・・・。
同じ宮古の浄土ヶ浜です。観光協会の人でしょうか、一人で黙々と後片付けをしていました。それでも浜辺はもうきれいになっています。ただ、車両は進入禁止なので、片道1キロを徒歩で行くことになります。
道中、いたるところでこのような景色が広がっています。ほとんど手つかずの場所が何か所もあり、有名な被災地だけではなく、多くの地域が被災している事を実感しました。
沿岸の村は何も対策を打っていなかった訳ではありません。堤防がこんな具合ですから、もうなんと言うか。
釜石
内陸部の商店街では瓦礫の撤去が進んでいますが、港に近いところはまだ残っています。
商店街このような具合です。
大船渡
漁港はきれいになっていましたが、商業地区はまだまだ瓦礫が多い状態で、これから片づける会社の方などが働いていました。
商業地区からさらに海寄りにある漁港ですが、すでに復旧し、もう水揚げもあるようです。
陸前高田
ニュースでも多く取り上げられている陸前高田ですが、平地が多い地域なので大規模に流されてしまっています。
瓦礫の撤去は進んでいるのですが、瓦礫を置く場所には苦慮しているようで、写真のような山がいたるところにあります。そのため町は埃っぽく、マスクがないと喉を傷めます。(痛めました)
ご苦労様です。
陸前高田から気仙沼に向かう45号は橋が倒壊しているため、迂回が必要でした。山道を20分ほど走ると抜けられます。
気仙沼
復旧作業が急ピッチで進んでいるという感じです。規制されていて被災地の中心部に入ることはできませんでした。邪魔にならないよう退散です。
南三陸町に向かう道も、本吉町で閉ざされています。地元のコンビニで一番近い迂回路を聞いて本吉町に入りました。
本吉町
橋が完全に倒壊しているのが見て取れます。ここはもう、街の影も形もありません。
しかし、既に国道の復旧は始まっていました。さすが日本!
南三陸町
こちらもニュースに多く取り上げられる地区です。取り上げられるだけあって、実に悲惨な状況なのです。
建物に「よみがえれ故郷」「ふんばれ」の文字があります。自分たちが再生するんだ!という強い想いが伝わってきます。
自衛隊の仮設橋がまだありました。後日、この橋は大型トレーラーも通るんですよと話したら、ある方から、自衛隊の橋だから、戦車も通せる橋なんだと言われて納得。
最後に
仙台に向かう途中、前を走る自衛隊のジープ。震災前は、警察車両も自衛隊車両も法定速度内で走っていましたが、被災地では車の流れにのって走っていました。
正直、被災地で写真を撮る私の行動は邪魔だったと思います。安易な観光とは見られないように、報道カメラマン風のいでたちで巡ったのですが、事実、道の端に車を寄せきれず、瓦礫を運搬するダンプに何度かクラクションを鳴らされました。
しかし、邪魔であれ何であれ、私は想像で支援ができるほど想像力が豊かではないのです。
邪魔だった分、被災地の支援には全力を尽くします。
被災地のみなさん、復旧と復興を見届けるため、また行きます。
邪魔でも許してください。