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2009/04/18 06:57:58 プライベート♪
思索
蟻地獄 四
 高気圧の縁を高気圧からの、若しくは自己以外の外部の風に流されるままにしか動く外ない颱風は、一方で颱風内部では猛烈な風雨が渦巻く颱風のその動きは、しかし、如何見ても颱風が自律的に動いてゐるとしか見られない私の心模様を映す形で《無言》の《神》に対峙する《吾》は、自己内部の猛烈な風雨に比べると羸弱(るいじゃく)でしかない外部のその風に流されてゐるに過ぎない颱風が恰も自律的に動いてゐるやうに見えてしまふ如く、《神》から《自由》を与へられてゐる錯覚の中に、換言すれば、《神》から吹く心地良き風には無知を装ひその風を風ではなく敢へて《自由》と名付けては嬉々として、その《自由》を満喫するべく更なる《自由》を求めることで返って颱風の如く外部から吹き寄せる微風に過ぎぬ《自由》に呪縛されてゐるにも拘はらず、さうとは全く気付かなかった《吾》自身が単なる外部の心地良き微風に過ぎぬ《自由》に流されてゐるだけといふ錯誤の中に憩ってゐる大馬鹿者に過ぎないことに不意に気付いてしまふと、《吾》といふ生き物は狼狽(うろた)へるのである。その狼狽へ方は数の力を借りると此の世で最強な《存在》にも拘はらず、しかし、蟻地獄に落ちると羸弱な《単独者》に為り果てて、正に一匹の羸弱な蟻に変化してしまふ如き《存在》なのであった。


 経験則に照らすと《自由》を謳歌するには蟻地獄に落ちた《単独者》たる一匹の羸弱な蟻になる覚悟が《何か》によって強要される。それは台風の進路を予測するのに隣り合ふ高気圧のことを全く考慮せずに台風の進路を予測するといふ、換言すれば暗中の中を灯り無しに突っ走る《愚行》と同じことなのかもしれないのである。つまり、颱風が自律的に自身の意思で動いてゐると看做す《暗愚》とそれは同じで、しかし、さうとはいへ、それでも尚颱風が自己たる《吾》の意思に従ってあくまで自律的に動いてゐると看做して只管(ひたすら)自己弁護する哀れな《吾》を主張するはいいが、しかし、その実、後に残るのは只管自身内部で空転し猛烈な風雨が逆巻く己の有様だけに対峙する世界=内に閉ぢてしまった阿呆な《存在》の姿である。そしてそんな颱風の《自意識》は絶えずこんな愚問を己に発してゐる筈である。


――はて? この渦に呑み込まれる《吾》とは、一体何なのであらうか? 


と。例へば仮に颱風にも自身を客観視して已まない《異形の吾》若しくは《対自》といふ自我が芽生えてゐるならば、その《異形の吾》は、自身が最早自身が渦巻くその渦から決して出られない、恰も蟻地獄に落ちた蟻の如き自身を苦笑する外ないのである。此処で止揚などといふインチキを用ひるのは禁物である。未だ嘗て《吾》から出られた《吾》は此の世に《存在》することを許されてゐない筈だからである。さうならば、颱風もまた己からは死んでも遁れられない《異形の吾》といふ何とも悩ましい自我を抱へ込まざるを得ないのである。


――出口無し――。


 これが《異形の吾》が自身に発せられる唯一の言葉に違ひない。それは当然至極なことである。《吾》といふ《存在》は、それが何であれ、《吾》といふ《存在》から決して出られない故に、《吾》が《吾》である保証、若しくは存在根拠を辛うじて維持してゐられるのである。仮令《吾》が《他》に変化出来る魔法を《吾》が手にしたところで、結局のところ、《他》に変化せし《吾》は《吾》でしかないのである。


《吾》とは、《吾》が《吾》であることを自覚させられ、また、その出自の如何に拘はらず、《吾》は蟻地獄に落ちた一匹の蟻の如く《吾》といふ《場》から最早永劫に出られぬことを決定させられた《存在》なのかもしれない。そんな《吾》はその《存在》の、若しくは意識活動の大半を《異形の吾》の憤懣を宥(なだ)めすかすことに費やされることになるのである。その因の一部は「他人の庭はよく見える」といふ喩へ通り《他》と己を比較することからも生じるが、しかし、さうとはいへ、己といふ《存在》が自身の《存在》に満足することはあり得ず、仮に自身に満足してゐる《吾》が《存在》するとすれば、それは《吾》の怠慢でしかない。《吾》と名指された《存在》は絶えず内外から自身の《存在》を喪失するかもしれぬ恐怖に苛まれながらも《吾》を此の世に屹立させて、だがその《存在》の仕方は《吾》といふ《存在》の自棄のやんばちでしかないが、しかし、何としても自身の《存在》を崩壊の危機から救ふべく《吾》は此の世に対して、若しくは《神》に対して


――《吾》、此処に在り! 


と叫ばずにはゐられないのである。だが、一方で


――その《吾》に何の意味がある? 


と、更にぼそっと胸奥で呟く《吾》がまた《存在》するのである。スピノザ風に言へば、そのぼそっと呟いた《吾》がまた《吾》の胸奥の奥の奥に《存在》する、そして、《吾》にぼそっと呟く胸奥の奥の奥の奥の別の《吾》といふ関係が《無限》に続く、云々。それ故その《吾》とはabsurb、つまり、不合理である、と、其処で《無限》といふ《もの》へと思考の飛躍に駆られたくなる衝動もなくはないが、しかし、幾ら


――その《吾》に何の意味がある? 


と、胸奥でぼそっと呟く《吾》が《存在》しようとも、《吾》は《吾》からは逃げ出せないのである。そしてまた、


――だからそれが如何したといふのか? 


と、自身を嘲笑ふ《吾》もまた己には《存在》し、絶えず己を嘲笑してゐるのである。そな《吾》を嘲笑する《吾》自身を敢へて規定するならば、一人称でもあり、二人称でもあり、三人称でもあり得るし、更に言へば、《四人称》と名付けたくなる《脱自》すらをも何なく飛び越えてしまふ《存在様式》を持つ《吾》が《単独者》として《存在》してしまふ宿命にあるのかもしれない……。


 そして、その《四人称》の《吾》とは颱風の如く自身の内部では猛烈な風雨が逆巻く自身の渦に呑み込まれた何とも摩訶不思議な《存在》の仕方をする《吾》であり、此の世で最強の《もの》のなれの果てたる蟻地獄に落ちた一匹の羸弱な《単独者》たる蟻の如き《もの》として私には表象若しくは形象されるのであった。


(四の篇終はり)
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2009/04/13 06:00:21 プライベート♪
思索
幽閉、若しくは彷徨 廿八
――へっ、仮令この《自然》が、若しくはこの宇宙が、その開闢(かいびゃく)の時に戻ってその最初の最初から己自身を創り直したところで、自同律の陥穽からは遁れられない! 


――何? すると自同律は《存在》以前に既に《存在》するといふのか? 馬鹿が――。


――だから《未存在》と言ってゐるのさ。


――例へば《生》は《反=生》を《夢想》し、《死》は《反=死》を《夢想》すると看做せば、《生》と《死》が《存在》する此の世のその《生》と《死》の間(あはひ)にぽっかりと大口を開けた《パスカルの深淵》があるやうに、《反=生》と《反=死》を《夢想》せずにはゐられぬ《未存在》の世界にも此の世の《パスカルの深淵》の如き《深淵》がばっくりと大口を開けてゐると確かお前は言った筈だが、その《深淵》を棲処とする《未存在》はさうすると、既に《未存在》として《存在》、否、《未存在》してゐると? 


――下手なTautology(トートロジー)、つまり、類語反復みたいな無意味な論理立ては止めた方がいいぜ。先にも言ったが、此の世に《死》が《存在》する限り《未存在》は既にあると看做した方が《自然》だぜ。


――《死》が《死》自ら何かへの《夢想》をする故にか? ふっ、《死》こそ闇の中にじっと蹲って《未存在》を《夢想》する……か……。《存在》の何と哀れなことよ! 


――否、《存在》はこれっぽっちも哀れな《もの》である筈がない! 自分可愛さに《存在》する《もの》を憐れむことは《存在》にとって最も愚劣極まりないことで、而もそれは《存在》にとって屈辱以外の何ものでもない。その憐れみは《存在》に対しても《死》に対しても《未存在》に対しても失礼千万この上なしだぜ。ちぇっ、《存在》が《存在》を憐れむこと程気色悪いことはない! 


――だが、その気色悪いのが此の世の在り来たりの様相ではないか? 


――さうさ。だから、《存在》は《存在》に我慢がならず、《自然》は《自然》であることに我慢がならぬのだ。その象徴が《神》ではないかね? 


――《神》はその出自からして呪はれてゐると? 


――違ふかね? 


――さうするとだ、《神》もまた《存在》の塵箱だといふことか――。


――へん。《存在》の塵箱の何処が悪いのかね? 塵箱で結構ではないかね? 《存在》の塵箱とは詰まる所、闇と同義語じゃないかね? 


――闇ね……。しかし、その闇こそ闇であることに最も我慢がならぬのじゃないかね? 


――ふっふっ、その通りだ。闇は闇であることに我慢がならない。だが、さうだからこそ《存在》はやっと《存在》たることに我慢してゐるのじゃないのかね? 「闇にはなりたくない!」とね。


――へっ、己が《皮袋》内部に闇を持ってゐるくせに、「闇にはなりたくない!」とほざくこの《存在》の傲慢さは、果たして、何処にその淵源があるといふのか――? 


――その答えは簡単明瞭さ。《現在》が《存在》する故にさ。


――へっ、独り《存在》のみが周囲を《過去》若しくは《未来》に取り囲まれてぽつねんと《現在》に取り残されてゐると、《存在》は本能的に、或ひは無意識に感じてゐる、若しくはさう思ひ込まざるを得ないからか? 


――なあ、《過去》にも《未来》にもゐられず、絶えず《現在》にゐ続ける外ないこの《存在》の有様は、残酷極まりないと思はないかね? 


――それがこの宇宙の悪意の一つであると? 


――悪意でなくて何とする! 


――しかし、《現在》に取り残された《存在》は《現在》に取り残されてゐるが故に《過去》と《未来》を自在に交換してゐるぜ。《過去》に《未来》を見、《未来》に《過去》を見てゐる。


――ふっふっふっ。其処さ。因果律は《現在》に取り残された《皮袋》といふ《存在》の在り方をする《主体》においては、つまり、《主体》が必然的に隠し持たざるを得ぬ内なる闇の《特異点》では既に因果律が壊れてゐる此の世の有様に目を瞑って、《存在》はその因果律が壊れてゐるにも拘らず尚も時間を一次元的に閉ぢ込めて得意然としては、此の世の何かが少しでも解明出来たと思ひ込みたくて仕様がないくせに、はっ、しかし、《存在》は此の世を一向に直視しようとしない。それは何故だと思ふ? 


――《時間》に怯えてゐるからか……? 


(廿八の篇終はり)
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2009/04/11 05:00:43 プライベート♪
思索
黙劇「杳体なるもの」 四
――ふっふっふっ。「私」のゐない「私」もまた極楽と地獄の間を揺れ動くのさ。


――ちぇっ、《存在》はやはり確率零と一の間を揺れ動く。つまり、無と無限の間か……。詰まる所、あらゆる《存在》は無と無限の間を揺れ動かざるを得ない! 而して、それは何故か? 


――へっ、《存在》しちまってゐるからに決まってをらうが! 


――ちぇっ、この煮ても焼いても喰へない《存在》に先づ《吾》が《重なり合ひ》、そして《杳体》が《重なり合ふ》。またまた愚問だが、そもそも《杳体》とは何を淵源としてゐるのかね? 


――パスカルの深淵にもんどりうって飛び込んだ時の《自由落下》する《意識》の有様にその淵源を持つと言へば少しは解かるかな? 


――《自由落下》する《意識》の有様? 


――パスカルの深淵とは特異点の別称さ。


――さうお前は言ひ切れるのかね、特異点の別称だと? 


――ああ。ここでさう言ひ切る外あるまい。パスカルの深淵が特異点の別称だと。


――つまり、その《特異点》にもんどりうって飛び込んだ《存在》の《自意識》が《自由落下》する様が《杳体》の尻尾を捕まへる鍵といふ訳かね? 


――へっへっ。この《意識》の《自故落下》が曲者なんだ。


――ふむ。《意識》が《自由落下》するとは《自意識》が《吾》からずり落ちることを指してゐるのかね? 


――さう解釈しても別に構はぬが、《吾》が「私」より先に《自由落下》してゐるとしたならば、へっ、「私」は永劫に追ひ付けない《吾》をそれでも尚追ふ構図もあり得るぜ。


――ふむ。《吾》が「私」より先に既に《自由落下》してゐるか……。ふっふっふっ。哀しき哉、《存在》は! しかしだ、未だ解からぬぞ、そのお前が唱へる《杳体》が! 


――《杳体》は杳として知れぬ何かだと最初に言った筈だがね。


――それさ。杳として知れぬ《もの》が《存在》の態を為し得るのか? 


――へっ、面白くなってきたぜ。お前は今《杳体》を《もの》と形容したのに気付かなかったのかね? ふっふっ、堂々巡りの始まりか――。だから、《杳体》が《存在》の態を為すか為さぬかは《主体》次第だとこれまた最初に言った筈だがね。


――それではその《主体》とは何を指しての《主体》とお前は言ふのか? 


――ふっふっふっ。これも最初に言った筈だが、《主体》とは此の世の森羅万象が自身が《存在》する為には如何あっても持ち堪へなければならぬ《もの》さ。


――すると《存在》は全てそれが何であらうと《自意識》を持つと? 


――ああ、さうさ。《存在》する《もの》はそれが何であれ、哀しき哉、《自意識》を持ってしまふ。


――これも愚問だが、《杳体》にとって神とは何なのだ? 


――藪から棒に何だね? 神と来たか……。さて、何としたものかね、神は――。


――神は《杳体》ではないのか? 


――神は《杳体》でも構はないし《杳体》でなくても構はない、それが神さ。


――神もまた蜃気楼の亜種かね? 


――蜃気楼といふよりもVision(ヴィジョン)、つまり、《幻影》の類に相違ない。


――《幻影》? 


――《幻影》といっても幻の影だぜ。何の事だか察しがつく筈だが……。


――幻に影があるといふことはその幻は《実体》といふことか――? 


――さう。幻といふ《実体》、それが神さ。


――それでは幻といふけれど、それは実際のところ、何の幻のことかね? 


――ぷふぃ。《私自身》の幻に決まってをらうが。外に何が考へられるといふんだね? 


――ぶはっ。《私自身》の幻が神? 馬鹿らしい。神とはそもそも自然の別称ではないのかね? 


――自然もまたそれが《存在》する以上、《自意識》を持つのは自明の理と考へられる……。つまり、何もかもが《私自身》に帰すのさ。更に言へば神とは彼の世にゐる《私自身》といふ《実体》の幻さ。


――彼の世にゐる《私自身》の《実体》? 彼の世への《私自身》の《表象》の投影ではなく、《私自身》の《実体》の幻と? 


――彼の世に《私自身》の《表象》を投影したところで、ちぇっ、それは虚しいだけさ。


(四 終はり)
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2009/04/06 05:26:01 プライベート♪
思索
幽閉、若しくは彷徨 廿七
――お前は《他=吾》も《反=生》も《反=死》も《実体》も《反体》も何もかも全てが《存在》といふ泡沫の夢に過ぎぬと、まるで達観でもしたかの如く考へて鳧(けり)をつけたいのだらうが、さうは問屋が卸さないぜ。《存在》が泡沫の夢の如き《もの》と辛うじて呟けるのは今正に死に行く寸前の《存在》共のみだぜ。未だ生き永らへる《存在》は《存在》といふ《特異点》をその内部に隠し持ってゐる故の《深淵》をまるで極楽の如き棲処にしちゃ、この悪意に満ちた宇宙、俺はそれを《神》と名付けるが、その宇宙たる《神》の思ふ壺だぜ。


――へっ、所詮このちっぽけな《存在》がこの宇宙といふ《神》に反旗を翻したところで高が知れてるぜ。


――だから《神》の摂理に従へと? 


――《存在》もまた《自然》ではないのかね? 


――《自然》は《特異点》と同様、《存在》の塵箱じゃないぜ。


――それじゃあ、あくまでも《存在》は未だ生き永らへる限り《反=自然》であり続けろと? 


――《存在》はこの宇宙からも《自然》からも将又《神》からも自存することを自棄のやんばちに、そして遮二無二願ひ、またさうであることで漸く「《吾》は《吾》なり」とぼそっと呟ける宿命を背負ってゐるのさ。


――何に背負はされてゐるといふのか? 


――へっへっへっ、決まってをらうが、《自然》さ。


――《自然》もまた《自然》であることに我慢がならぬと、つまり、《自然》もまた自同律から遁れられないと? 


――当然だらう。《自然》が此の世で最も自身を憎悪してゐる筈だぜ。


――ぶはっはっはっ。


――うふっふっふっ。


――《自然》自らして無秩序を望んでゐるというか――。


――渾沌の中からしか《新体》は現はれやしないぜ。


――《特異点》といふ《深淵》で《実体》と《反体》は対消滅を遂げてSoliton(ソリトン)の如き未知の孤立波を敢へて《新体》と呼ぶならば、自同律と因果律が壊れた《特異点》を内部に隠し持たざるを得ぬ《存在》のその矛盾した有様に端的に表はれるこの宇宙たる《神》の悪意を弾劾せずにはゐられぬ《主体》が、そんな風に《存在》するのは至極当然のことで、また、《実体》と《反体》が絶えず対消滅する渾沌とした《特異点》を先験的に授けられてしまった《存在》が、己の《存在様式》を憎悪するのは尚更《自然》なことであって、而も《存在》は必ず自身を憎悪せずにはゐられぬやうに仕組まれてしまってゐるのさ。そして、あらゆる《存在》は捩ぢれに捩ぢれ、最早捩ぢ切れるまでの矛盾した自同律に懊悩するのは《存在》の宿命だ。


――《自然》もまた《他=吾》を渇仰してゐるといふのか? 


――《自然》こそ《未存在》であり而も《他=吾》であることを切望してゐる。


――つまり、それは渾沌といふことだね? 


――へっ、《自然》が自らに我慢がならずそれ故この《自然》を最初から創り直したいと望んでゐるとしたならば、へっ、《存在》は自ら置かれたそんな状況を最早嗤ふしかないだらう? 


――《自然》はやはり己に我慢がならず最初からこの《自然》を創り直したいと? さうすると、やれ《主体》だ、やれ《客体》だ、やれ《対自》だ、やれ《脱自》だ、やれ《差異》だ、やれ《地下茎》だとほざくこと自体が元来馬鹿馬鹿しいことに違ひない! だが、その馬鹿馬鹿しいことに懊悩せざるを得ぬのが此の世に《存在》する《もの》全ての宿命なのか――。


――《存在》とは元来馬鹿馬鹿しい《もの》と相場が決まってゐるのさ。


――つまり、《存在》は何か別の《もの》へと変容することを先験的に課されてゐると? 


――先験的にかどうかは解からぬが、少なくとも現実においては《存在》する《もの》全て別の何かへと変容する《夢想》を等しく抱いてゐるのは間違ひない。


――それは《死》ではないのかね? 


――いや、決して《死》なんかじゃない! 


――それは《自然》自らがこの《自然》を最初から創り直したいと切望してゐることにその淵源があると? 


(廿七の篇終はり)
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2009/04/04 07:59:47 プライベート♪
思索
水際 四
…………寄せては返す波打ち際の如く、《過去》若しくは《未来》たる此の世の中にぶち込まれ、己自身は伸縮を繰り返しながら、それが真だとはこれっぽっちも信じてゐないにも拘らず、しかし、さうだから尚更それが己の自在感かもしれぬと敢へて錯覚しつつも、此の世の中で唯一《現在》たる《皮袋》に蔽はれし《吾》は、さうして独り《孤独》を失念する為に《過去》若しくは《未来》としてしか現前に現はれない《現実》たる此の世から遁走することを余儀なくされ、そして、そんな宿命と対峙するのを絶えず回避し続けては、挙句の果てに此の世の《宇宙》の涯たる《他》の存在に怯える醜態を未来永劫に亙って噛み締めなければならぬ《個時空》たる《吾》は、その《個時空》といふ存在の水際に蹲る屈辱を結局は味はひ尽くさねばならぬ宿命を背負はざるを得ぬのかもしれぬ…………。


…………


…………


――さてね? これは異なことを言ふ。《個時空》たる《主体》が《パスカルの深淵》に飛び込み、その《深淵》の中を自由落下し続ければ、やがては質量零でなければ決して至れない光速度をひょんなことに手にしてしまったその瞬間、《個時空》たる《主体》は「吾、然り」と快哉を上げて《吾》ならざる《吾》といふ《無私》の《主体》へ相転移を成し遂げるのではないかね? 


――へっ、何を寝ぼけたことをぬかしをるか! 或る臨界を超えてしまった《主体》は最早後戻りの出来ない地獄へ踏み込む外ないんだぜ。


――地獄ね。光速を獲得した《個時空》たる《主体》は、さて、如何なる地獄へ迷ひ込むか……。


――《吾》が絶えず《吾》から逃げる摩訶不思議な現象に懊悩する無間地獄さ。


――はて、《吾》が絶えず《吾》から逃げることは、《無私》が成し遂げられた正に極楽ではないかね? 


――お前は、《吾》であることを断念できるかね? 


――ふむ。断念か……。それは難問だぜ。


――さう、難問だ。しかし、今現在かうして質量がある《吾》が質量零の光へ《発散》する刹那、《吾》は未来永劫《吾》を見失ふ悲哀を味はひ尽くさねばならぬのだ。


――それは《吾》が此の世全体に偏在することではないのかね? 


――偏在? 


――さう、《個時空》たる《主体》が此の世に偏在する。


――へっ、それは幻想に過ぎないぜ。《主体》は《吾》がこの《皮袋》に過ぎぬ故に《吾》を《吾》と辛うじて認識してゐるに過ぎぬのさ。その《皮袋》に過ぎぬ《吾》が質量零の光となって此の世に偏在するといふ、其処には質量の有無の壁を超えなければならぬ矛盾が《存在》するがその矛盾を、さて、この《吾》は超越出来ると思ふかい? 


――矛盾の上に徹底的に論理的な縄梯子を、へっ、立てろと? 


――さうさ。非連続が日常茶飯事といふのが此の世の常としてもだ、その非連続を徹底した論理でもって踏み越えなければならぬ矛盾を先験的に内包しながらも、見掛け上で構はぬが、そんな一見矛盾でない論理でもって此の世を捩じ伏せぬ限り、《パスカルの深淵》に自由落下し続ける《個時空》たる《主体》に、光となりて此の世に偏在する《無私》の境地など訪れる筈がない! 


――つまり、質量のある《皮袋》に過ぎぬ《個時空》たる《主体》が、何時までもその《吾》にしがみ付いてゐると、それは《他》を呑み込み何食はぬ顔で破滅へと導く巨大Black hole(ブラックホール)となって醜悪極まりない《吾》のみが拡大に拡大を続け、そして何処までも重い質量を持ってしまふ《「孤」時空》たる《主体》が独りぽつねんと存在する何とも気色悪い孤独な世界が出現すると? 


――それが詰まる所、《吾》のみが肥大化するといふ諸悪の根源の一つだ。《個時空》たる《主体》が《吾》を断念するといふ不可能事に或る可能性を見つけずして《パスカルの深淵》に飛び込む愚劣をし続ける《吾》が、へっ、光となりて此の世を偏在するだと? 馬鹿も休み休み言へ! 


――それでも《パスカルの深淵》を自由落下する《個時空》たる《主体》は、つまり、或る臨界を超えてしまった刹那、無理矢理にでも光へと相転移してしまふのではないのかね? 


――それが愚劣だと言ふのだ。《吾》はそれを解脱だと称してゐやがる。無理矢理非連続なる存在を《吾》のまま飛び越えてしまふ、つまり、此の世といふ宇宙の涯を軽々しく飛び越えてしまってせせら笑ふのだ、ちぇっ、虫唾が走るぜ。


――《吾》が《吾》を断念出来ぬ事がそれ程醜悪かね? 


(四の篇終はり)
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2009/03/30 06:58:21 プライベート♪
思索
幽閉、若しくは彷徨 廿六
――それは詰まる所《生者》の論理でしかないしじゃないか……これは……自同律とも深く関はってゐる筈だが……《死》は《死》において自ら《剿滅》を《生》と同様に約束されてゐるのかい? 何故って《死》も厳然として此の世に《存在》する《もの》の一つの様相だからさ。《死》が自らの《剿滅》を渇望、若しくは葛藤してゐるとお前は考へてゐるのかい? 


――ふっ、当然《死》は自らの《死》についてあれやこれやと自ら思ひ巡らしてゐる筈さ。さっき言った通り、《死》もまた《夢》を見る……。


――ふっふっふっ、それは……どんな《夢》だい? 


――《死》自ら《死滅》するといふ《夢》の筈だ。


――ぶはっはっはっはっ。《死》が《死滅》するとは何といふ言い種だね? はて、《死》の《死滅》とは何を意味するのかい? 


――それは《生》と言ひたいところだが、それを敢へて言葉で言へば《反=死》といふことさ。


――《反=死》? 《反体》、《新体》、《他=吾》と来て今度は《反=死》だと? 《死》が《夢想》するその《反=死》とは一体何かね? 


――《生》と《死》の間(あはひ)に大口を開けた《深淵》を棲処とした《未存在》のことさ。


――《未存在》? それは《実体》若しくは《反体》が《存在》することと如何違ふのかね? 


――字義通り、未だ《存在》に至らぬ《もの》のことさ。


――へっ、《もの》と言ふのだから《未存在》も結局は《存在》の亜種に過ぎないのじゃないかね? 


――《死》の《夢想》だぜ! 《死》が《もの》を《夢想》してもちっとも不思議じゃない。むしろ《死》が《存在》を《夢想》すると考へるのが《自然》だが、しかし、《死》は最早再び《死》に至るしかない《存在》を《夢想》することはない。


――それで《未存在》だと? 


――ふっ、《未存在》は《生》と《死》を自在に行き交ふ永劫の相をした何かさ。


――《未存在》が永劫? それは《未存在》なる《もの》が未来永劫に亙って《存在》するといふことかね? 


――《存在》はしない。唯、《未存在》であり続けるのみさ。つまり、それが《反=死》だ。


――《反=死》は《生》ではないのか? 


――否! 《生》と《死》を自在に行き交ふ何かさ。


――それが未来永劫に亙ってあり続ける? あり続けるといふからにはそれは結局のところ《存在》の派生物ではないのか? 


――ふっ、また堂々巡りだ、へっ。先にも言った通り内部に《特異点》を隠し持ってゐる《存在》は《死》を必ず内包してゐる。ふっふっ。再び死すべき運命にある《存在》を《死》が《夢想》すると思ふかい? そんな筈はなからう。


――つまり、《存在》は必ず《死滅》若しくは《剿滅》する《もの》だから、未来永劫に亙ってあり続ける《反=死》たる《未存在》なるこれまた摩訶不思議な《もの》をでっち上げた訳か――。ちぇっ、《反=死》は《反=生》ではないのかい? 


――正確を期すると《未存在》は《生》と《死》と《反=死》と《反=生》の間(あはひ)にぽっかりと空いた《深淵》を棲処とする何かさ。


――何を戯(たは)けたことを言ってをるか! 《反=生》も《反=死》も《実体》も《反体》も《生》も《死》も全て《存在》を形象する《もの》でないか? 


――それで? 


――それでだと――。ちぇっ、忌々しい! 


――へっへっ。


――つまり、何事も《深淵》に帰すことで自分が可愛くと仕様がないといふのがお前の考へ方だぜ。それじゃあ、この悪意に満ちた宇宙にしょん便も引っ掛けられやしないぜ。


――天に唾を吐いてゐるに過ぎぬと言ひたいのだらうが、それでも《反=死》も《反=生》も《生》も《死》も《実体》も《反体》も全ては此の世に《特異点》を隠し持ちながらあり続ける《深淵》に違ひない筈だ。


――それじゃあ、《他=吾》たる《吾》の出現なんぞ望めっこないぜ。


――別に《他=吾》なぞ出現せずとも構はないじゃないか。


(廿六の篇終はり)
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2009/03/28 07:32:23 プライベート♪
思索
睨まれし 四
――逃げ道など探さずに敢然と《存在》が《存在》する《現実》に対峙してみたら如何かね? 


――ちぇっ、それが至難の業だと知ってゐるくせに! 


――はて、何故《現実》に対峙することが至難の業なのかね? 


――絶えず《現実》といふ《自然》に《吾》が試されるからさ。


――ふっふっふっ。《吾》とはそんなにも繊細な《存在》なのかね? 


 その時《そいつ》は眼球をゆっくりと此方に向け、私の内界全てを一瞥の下に暴き出したかの如く《そいつ》はしたり顔で私を嗤ったのであった。


――それが不可能だと十二分に解かってゐるくせに《吾》は《吾》ならざる《吾》を絶えず渇望してゐなければ最早一時も《吾》たることに我慢がならぬ、それでゐて《吾》ならざる《吾》に対しては疑念に満ち満ちた、それは何とも厄介な代物なのさ、《吾》とは。


――《吾》は《吾》に対してそんなに厄介な《もの》かね? 


――ああ、《吾》は一筋縄ではゐかぬ厄介この上ない代物だ。就中(なかんづく)《吾》が《吾》に対して抱く猜疑心、こいつは何とも度し難い――。


 《そいつ》はその刹那、にたりと嗤ひ、かう呟いたのであった。


――《吾》とはその《存在》の因子として先験的に猜疑心を授けられてゐる《存在》なのかね? 


――《吾》が滅する定めである限りさうに違ひない。


――つまり、その何とも厄介な代物を《吾》と名付けたはいいが、その実《吾》であることに我慢がならず、しかし、さうでありながらも実のところは《吾》は絶えず《吾》の壊滅に怯えてゐるのじゃないかね? 


――だからといって《吾》は《吾》であることを止められない。


――くっくっくっくっ。《吾》とは随分身勝手な《存在》なのだね。くっくっくっくっ。《吾》が《吾》であることが我慢ならず、それでゐて《吾》の壊滅には絶えず怯えてゐる。ちぇっ、何とも《愚劣》極まりない! 


 《そいつ》は吐き捨てるやうに、しかしながらそれでゐて《そいつ》自身に向かって「《愚劣》極まりない!」と言ったかのやうであった。


――《存在》は詰まる所《愚劣》な《もの》じゃないかね? 


――くっくっくっくっ。その通りだ。《存在》はそもそも《愚劣》極まりない! 《愚劣》極まりないから論理は尚更矛盾を孕んでゐなければならぬのさ。


――つまり、《存在》そのものが矛盾であると? 


――へっ、何処も彼処も矛盾だらけじゃないか! 


――だからと言って《吾》であることを一時も止められやしないんだぜ。嗚呼、何たる不合理! 


――そもそもお前の言ふ合理とは何なのかね? つまり、一=一が成り立てば、それが合理なのかね? 


 私は其処で、私の頭蓋内の闇にぽつねんと呪文の如く『吾=吾』といふ等式を思ひ浮かべたが、それは束の間のことで、直ぐ様『吾=吾』といふ《愚劣》極まりない等式としてのその表象を唾棄したのであった。


――自同律が諸悪の根元だといふことはお前にも自明のことだね? 


 《そいつ》は私を嘲笑ふやうにさう呟いたのであった。


――しかし、此の世に《存在》する限りにおいては自同律は持ち切らないといけない。それがどんなに不快であってもだ。


――くっくっくっくっ。別に持ち切らなくても構はないのじゃないかね? 


――如何して? 


――如何足掻いたところで《吾》は《吾》でしかないからさ。


――《吾》が《吾》であることを全肯定せよと? 


――ああ。


――へっ。それは《吾》が《吾》であることを全否定せよと言ってゐるのと同じことじゃないかね? 


――くっくっくっくっ。その通りさ。土台《吾》が《吾》であることを全肯定するには先づ《吾》が《吾》を全否定し尽くさねばその糸口すら見つからない。くっくっくっくっ。《吾》そのものがこれ程矛盾に満ちてゐるにも拘はらず、《吾》に対して合理を求めるのは最も不合理この上ないことじゃないかね? 


――「不合理故に吾信ず」――。


――さう、《吾》は先づ《吾》を信じてみたら如何かね? 


――ふっ、《吾》を信ずる? これは異なことを言ふ。「不合理故に吾信ず」といふ箴言は、《存在》のどん詰まりに追い込まれたその《存在》の断末魔の如き呻き声でしかないのさ。つまり、《吾》とは《吾》に対して信が置けない《愚劣》極まりない、つまり、《吾》対しては猜疑心の塊でしかないのさ。


(四の篇終はり)
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2009/03/23 05:22:59 プライベート♪
思索
幽閉、若しくは彷徨 廿五
――ところで、《吾》以外全て《吾》といふ状況でも、さて、《吾》は己を《吾》と言ひ切る覚悟はあると思ふかい? 


――つまり、《吾》は無限を持ち切れると思ふといふことか? ……ふむ……解からないな……《吾》が《特異点》において《吾》であると言ひ切れるかどうかは……そもそも……《特異点》では《吾》といふ概念を忘失してゐるんじゃないかね? 


――するとだ、《特異点》では《吾》なることのみを渇望する、所謂、主客転倒した《桃源郷》が実現してゐるといふことか? 


――我執の呪縛からは少なくとも遁れられる……か? 


――…………。


――《吾》なれざる《吾》、つまり、《他=吾》が《吾》を渇望することは我執ではないのか? 


――へっ、我執もへったくれもない! 《吾》が《吾》でないと解かった途端、その《吾》、即ち《他=吾》は狼狽(うろた)へる。所詮、《吾》、即ち《他=吾》とはそんな《もの》さ。


――確かに《特異点》では《他=吾》の《吾》は『何が「私」だ!』と右往左往するに違ひない。しかし、それも《吾》が《他=吾》へと壊滅するまでのほんの一瞬に過ぎぬ。《吾》が《他=吾》へと壊滅すると『全てが「吾」なり!』といふ境地へ《吾》は一気に相転移を遂げ、そして《他=吾》は《特異点》の森羅万象に溶解する。


――ふっ、つまり、「《吾》は無限なり」と呟く《もの》だらけの《全体》――この言ひ方は気色悪い――が《特異点》には辛うじて《存在》する。へっ、《特異点》で「吾」と呟く《もの》は既に恥辱でしかないのさ! 


――それはあらゆる《もの》が《全体》で《重なり合ふ》といふことかね? 


――ちぇっ、逆に尋ねるが、その《全体》とはそもそも何だと思ふかね? 


――《特異点》のことではないのか? 


――《特異点》はその字義の通り《点》でしかないのだぜ。


――しかし、無限を呑み込んでゐる《点》だ。


――だから如何したといふのかね? 所詮、《特異点》は単なる《点》に過ぎぬ。しかし、それでも《特異点》は《全体》なのだ。ちぇっ。


――…………。


――その《点》を求めて有限なる《もの》全ては《夢想》する。「さて、《吾》とは何ぞや?」とね。


――《存在》の塵箱とどちらが言ひ出したかは忘れてしまったが、しかし、どちらが言ったにせよそんなことは構ひやしない。つまり、だから《特異点》は《存在》の塵箱なのさ。


――ふむ。有限界では《特異点》はパンドラの箱の如く《点》に封じ込めておかなければ《存在》が一時も《存在》足り得ぬ禁忌な《もの》か……。


――ふっ、しかし、無限の相においては《特異点》は《点》ではなく《全体》へと変化する……か……ちぇっ、それは俺の単なる願望でしかない! 


――ふっ、確かにさうに違ひないが、しかし、この悪意に満ちた宇宙をちらっとでも震へ上がらせるには《存在》は無と無限を掌中にする《夢想》を抱かずして如何する?  


――ふっ、それが《他=吾》の正体かね? 


――ふん、嗤ひたければ嗤ふがいいさ。それでも《他=吾》の相が必ず此の世に出現する筈だ。否、出現させねばならぬのだ! 


――ふむ。それ程この宇宙は悪意に満ちてゐるかね? 


――へっ、また堂々巡りだぜ。先にも言った通りこの宇宙の悪意はそれはそれは酷いものだぜ。


――つまり、それは《他》の《死》なくして《吾》の《存在》はあり得ぬといふことを指してのことだらうが、しかし、その死の大海にぽつねんと浮かぶ小島の如き《存在》共は、裏を返せばその《死》をも代表した何かに違ひない。さうは思はぬか? 


――つまり、《生》と《死》の相は地続きだと? 


――《存在》してしまった《もの》は如何足掻いても《剿滅》を先験的に内包してゐる、有限故にな。つまり、《存在》とは《死》といふものをその《存在》が誕生する以前に既に約束されてしまってゐる哀れな何かといふことだ、ちぇっ。


(廿五の篇終はり)



自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp
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2009/03/21 07:11:33 プライベート♪
思索
ざわめき 四
 有機物の死骸たるヘドロが分厚く堆積した溝川(どぶがは)の彼方此方で、鬱勃と湧く腐敗Gas(ガス)のその嘔吐を誘ふ何とも遣り切れないその臭ひにじっと我慢する《存在》にも似たこの時空間を埋め尽くす《ざわめき》の中に、《存在》することを余儀なくせざるを得ない彼にとって、しかしながら、それはまた堪へ難き苦痛を彼に齎すのみの地獄の責苦にしか思へぬのであったが、それは詰まる所、《存在》の因業により発せられる《断末魔》が《ざわめき》となって彼を全的に襲ひ続けると彼には思はれるのであった。


…………


…………


――《存在》は自らの剿滅を進んで自ら望んでゐるのだらうか? 


――《存在》の最高の《愉悦》が破滅だとしたならばお前は何とする? 


――ふむ……多分……徹底的に破滅に抗ふに違ひない。


――仮令それが《他》の出現を阻んでゐるとしてもかい? 


――ああ。ひと度《存在》してしまったならば仕方がないんじゃないか。


――仕方がないだと? お前はさうやって《存在》に服従するつもりなのかい? 


――《存在》が自ら《存在》することを受け入れる事が《存在》の服従だとしても、俺は進んでそれを受け入れるぜ。仮令それが地獄の責苦であってもな。


――それは、つまり、《死》が怖いからかね? 


――へっ、《死》を《存在》自らが決めちゃならないぜ、《死》が怖からうが待ち遠しいからうがな。《存在》は徹底的に《存在》することの宿業を味はひ尽くさなければならない義務がある。《存在》が《存在》に呻吟せずに滅んで生れ出た《他》の《存在》などお前は認証出来るかい? 何せこの宇宙が自ら《存在》に呻吟して《他》の宇宙の出現を渇望してゐるのだからな。


――つまり、《存在》が呻吟し尽くさずして何ら新たな《存在》は出現しないと? 


――ふっ、違ふかね? 


――くぃぃぃぃぃぃんんんんんんん〜。


 また何処かで《吾》が《吾》を呑み込む際に発せられる《げっぷ》か《溜息》か、将又(はたまた)《嗚咽》かがhowling(ハウリング)を起こして彼の耳を劈くのであった。それは《存在》が尚も存続しなければならぬ哀しみに違ひなかった。《他》の《死肉》を喰らふばかりか、この《吾》すらも呑み込まざるを得ぬ《吾》といふ《存在》の悲哀に森羅万象が共鳴し、一瞬Howling(ハウリング)を起こすことで、それはこの宇宙の宇宙自身に我慢がならぬ憤怒をも表はしてゐるのかもしれなかったのである。その《ざわめき》は死んだ《もの》達と未だ出現ならざる《もの》達と何とか呼応しようと懇願する、出現してしまった《もの》達の虚しい遠吠えに彼には思へて仕方がなかったのであった。


 実際、彼自身、昼夜を問はず《吾》を追ひ続け、やっとのことで捕まへた《吾》をごくりとひと呑みすることで《吾》は《吾》であることを辛うじて受け入れる、そんな何とも遣り切れぬ虚しい日々を送ってゐたのであった。


…………


…………


――《存在》は全て《吾》であることに懊悩してゐるのであらうか? 


――全てかどうかは解からぬが、少なくとも《吾》が《吾》であることに懊悩する《存在》は《存在》する。


――ふっ、そいつ等も吾等と同様に《吾》といふ《存在内部》に潜んでゐる《特異点》といふ名の《深淵》へもんどりうって次々と飛び込んでゐるのだらう……。さうすることで辛うじて《吾》は《吾》であることを堪へられる。ちぇっ、「不合理故に吾信ず」か――。


――付かぬ事を聞くが、お前は、今、自由か? 


――何を藪から棒に。


――つまり、お前は《特異点》に飛び込んだ事で、不思議な事ではあるが《自在なる吾》、言ひ換へると内的自由の中にゐる自身を感じないのかい? 


――それは天地左右からの解放といふことかね? 


――へっ、つまり、重力からの仮初の解放だよ。


――重力からの仮初の解放? へっ、ところがだ、《吾》は《特異点》に飛び込まうが重力からは決して解放されない! 


――お前は、今、自身が落下してゐると明瞭に認識してゐるのかね? 


――…………。


――何とも名状し難い浮遊感に包まれてゐるのじゃないかね? 


――へっ、その通りだ。


――それは重力に仮初にも身を、否、意識を任せた結果の内的な浮遊感だらう? 


――ちぇっ、それは、つまり、《地上の楽園》を断念し《奈落の地獄》を受け入れたことによる《至福》といふことかね? 


――へっ、何を馬鹿な事を言ふ。それは《存在》が《存在》してしまふことの皮肉以外の何ものでもないさ。


(四 終はり)



自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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2009/03/16 03:21:57 プライベート♪
思索
幽閉、若しくは彷徨 廿四
――一つ尋ねるが、夢を見てゐるのが己自身だといふ証左は何処にあるかね? 


――ふむ……無いか……。


――さうさ。夢において夢を見てゐるのが自分自身だといふ根拠は何処にも無い。


――しかし、それは裏を返せば私自身が何処にも偏在出来るといふことと同じじゃないかね? 


――ぶはっはっはっはっ。成程、夢においては《吾》は何処にも出現可能、否、夢自体が《吾》になって仕舞ってゐるか――。ぶはっはっはっはっ。つまり、お前は夢において自同律の不快を克服出来る鍵があると考へてゐるのか。しかし、もうそれは現代では通用しないぜ。確かに夢は自同律の縺れを解く鍵かもしれぬが、所詮、夢は夢だ。《吾》が《特異点》に飛び込むのを止められやしない。現に俺もお前もかうして《特異点》に飛び込んでゐるじゃないかね? 


――はて、俺が何時《特異点》に飛び込んだかとんと合点がいかぬが、それでも、ちぇっ、まあ、構ひやしない! 其処でだ、夢見と《特異点》への投身の違ひは何かね? 


――夢見は悦楽に成り得るが《特異点》への投身は地獄の責苦以外の何ものでもない。


――どうして地獄の責苦と言ひ切れるのかね? 


――自同律と因果律が壊れてゐるからさ。


――さうすると、其処では、つまり、《特異点》では《吾》は《吾》足り得るのか? 


――多分、《特異点》ではそもそも《吾》が《存在》しない筈さ。


――《吾》が《存在》しない? へっ、《特異点》では何ものも《存在》出来ないのじゃないかね? 


――ふむ。多分、《存在》は無と無限と同等の何かに変質してゐるのかもしれぬが、しかし、《特異点》にも、例へば分数を持ち出して語ればだ、零分の一を考へれば解かるやうに数式で零分の一と書ける以上、《一》を初めとして数多の数字が形式的には《存在》し得る。つまり、《特異点》にあっても《存在》は《存在》し得るのさ。


――其処でだ、零の零乗は果たして《一》に《収束》するかね? 


――或ひは《一》に《収束》するかもしれぬが、実際の処は、正直言って不明さ。へっ、零乗を持ち出して《死》を問ひたいのだらうが、それは《特異点》の場合無意味だぜ。


――∞の零乗は《一》に《収束》するのだらうか? 


――それも不明だ。


――さうすると《特異点》で《存在》するその《もの》とは一体何を暗示するのかね? 


――多分、其処では《吾》が《吾》と念じた途端、《吾》なる《もの》は無際限の《面》を見せる無限の《異形の吾》が《吾》に連座するといふ、摩訶不思議な無限相をした《吾》が出現してゐる筈さ。


――つまり、それは《一》即ち無、若しくは無限といふことなのか? 


――ふっふっふっ。如何あっても《特異点》に《吾》を《存在》させたいやうだが、自同律と因果律が壊れてゐる《特異点》で《吾》を問ふのは余り意味がないのじゃないかな。つまり、《特異点》では「吾思ふ、故に吾と他が無限にありき」さ。


――へっへっへっ、つまり、《特異点》では《吾》といふ穴凹が無数に開いてゐて、《吾》は即ち《吾》を解脱せし《吾》は、《外側》からその《吾》の穴凹をまじまじと眺めてゐるが、へっへっ、《吾》はそれが《吾》だとは一向に気付けない《他=吾》に変質してゐる。


――《他=吾》? 


――つまり、《吾》以外全てが《吾》といふ意味さ。


――《吾》以外の全てが《吾》? ふむ。《吾》=《吾》が成り立たない、つまり、《吾》≠《吾》であることを強ひられる処といふことか……。


(廿四終はり)



自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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Profile
積 緋露雪
性別男性
年齢45歳
誕生1964年2月25日
星座うお座
血液O型
身長172cm
体型痩身
職業物書き
地域関東
性格穏やか
趣味読書,クラシック音楽鑑賞
チャーム特になし
自己紹介
3度の飯より思索好き今もって独身
Parts

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