――すると《吾》の過誤は《他》そのものを侮ったことになるが、如何かね?
――ふっ、その通り。《吾》は《他》を甘く見過ぎてゐたのさ。《吾》無くして全て無しなんぞはその最たる《もの》だ。《吾》無くしても《他》は相変はらず何事もなかったかの如く《存在》する。
――例へば、それは《世界》かね?
――さうさ。それに《他者》も《客体》も何もかも《吾》がゐようがゐまいがお構ひなしに《存在》する。何時頃から《吾》が《世界》に御邪魔してゐるといふ感覚が無くなってしまったのだらうか……。
――ふっ、無くなったのじゃなく、詰まる所、それは《吾》の《死》に直結するが故に《吾》は《吾》の《死》が怖くてさういふ感覚は全て麻痺させてゐるに過ぎぬのさ。
――さて、どうやって《吾》はその感覚を麻痺させてゐるのやら――。
――へっ、簡単明瞭さ。《吾》が《吾》と対峙しなければ、つまり、《他》の何かに興じてゐれば、この浮世は何となく過ぎてくれるのさ。
――それじゃあ、《吾》は《吾》を知らずして、否、何も知らずして、つまり、まるで夢の中にゐるかのやうにして、時を過ごしちまってゐるのか?
――《主体》は《吾》と対峙せずに済む《もの》を発明するのに躍起になってゐるじゃないか。
――つまり、娯楽に象徴される《楽》か――。
――ふっ、皮肉なことに《吾》の内部に秘かに潜んでゐればよかった《他》を闇から引き摺り出して、《吾》の内部の《他》が外在化して《吾》を呑み込むといふ、つまり、《吾》が《吾》であることの理性を一瞬でも失はせる《他》といふ欲望を肥大化させた上に更に肥大化させて、時が移ろふ、ちぇっ、それは《吾》の《個時空》に違ひないのだが、そんな事などお構ひなしに欲望といふ《吾》の内部に潜む《他》を無理矢理にでも引き摺り出された《吾》は、《他》の《個時空》たる巨大な巨大な巨大なカルマン渦と一緒くたになった欲望の巨大な渦に呑み込まれ、そしてその《他》の巨大な《個時空》のカルマン渦に流されるまま一生を終へるのさ。ちぇっ、これは極楽じゃないかね?
――欲望は《他》かね?
――《世界》を《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くした現状においては最早欲望は《他》以外の何《もの》でもない!
――つまり、《吾》は、ちぇっ、外在化した《吾》の頭蓋内に棲んでゐるといふことか――。
――つまり、夢の中さ。
――それじゃ、夢は《他》かね?
――夢が《世界》である限りにおいてのみ《他》さ。
――自他無境……。現状を一言で言ってしまへばさうじゃないかね?
――否、《自》滅さ。
――へっ、《自》滅か。ざまあ見ろだ。
――何に対してのざまあ見ろかね?
――《自》滅した《吾》に対してに決まってをらうが!
――さて、すると、現在《吾》は何処に棲息してゐるのだらうか?
――世界=外だらう?
――世界=外?
――さう、世界=外だ。《世界》が外在化した《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くされた以上、《吾》は、へっ、皮肉なことに世界=外に追ひ出されちまったのさ。
――その世界=外を具体的に言ふと?
――欲望といふ《他》が抜け落ちた抜け殻と化した《吾》は、その《吾》を《吾》の内部の無意識下の更にその奥底に封じ込めた一方で、《世界》の涯へと《吾》は自ら進んで《吾》の在処を投企したのさ。
――へっ、それは一体全体何のことかね?
――ふっふっふっふっ。《吾》の内部の奥底の奥底の奥底は、へっ、《世界》の涯に通じてゐたといふことさ。
――つまり、自他逆転が今現在《吾》のゐる《世界》といふことかね?
――さうさ。《吾》の内部が《世界》に表出しちまった自他逆転した奇天烈な《世界》、ちぇっ、つまり、異常な《世界》に《主体》は外界を作り変へてしまったのさ。
――しかし、その異常な《世界》とは張りぼての《世界》に過ぎないのじゃないかね?
――さうさ。しかし、《主体》としての《吾》はその張りぼての異常な《世界》を正常な《世界》と看做す狂気の沙汰を一見平然と成し遂げてしまってゐるのさ。
(四十一の篇終はり)
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