| | | | | | | | | 2009/03/14 06:09:08 プライベート♪ | | | 思索 | | | 嗤(わら)ふ吾 二 | |
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さて、闇の《吾》とは一体何であるのか改めて考へてみると、それは誠に奇妙な《吾》としか形容できない全くの無様な《吾》なのである。例へば私が私の事を《吾》と名指してゐる以上、それは何かしらの表象上の《面(おもて)》を持った何かに違ひないのであるが、しかし、私の意識の深層のところ、つまり、無意識のところでは《吾》は《面》のない闇でしかないといふことなのかもしれなかったのである。問題はそのことをこの私が持ち堪へられるかといふことなのかもしれなかったが、《闇の吾》の夢を見て嗤ってゐる処を見ると、《吾》が闇でしかないことを私は一応納得し、而も《闇の吾》を楽しんでゐるのは間違ひのないことであった。
其処で一つの疑念が湧いて来るのである。
――夢の中での《吾》とは一体何であるのか?
更に言へばそもそも夢は私の頭蓋内の闇で自己完結してゐるものなのであらうか、それとも夢見の私は外界にも開かれた、つまり、この宇宙の一部として《他》と繋がった《吾》として夢といふ世界を表象してゐるのであらうか。仮に夢が私を容れる世界といふ器として表象されてゐるのであるならば夢もまた世界である以上、《他》たる外部と繋がった何かに違ひないと考へるのが妥当である。換言すると、夢見中の私は無意識裡に《他者》、若しくは《他》と感応し、若しくは共鳴し、更に言へば《他者》の見てゐる夢の世界を共有し、若しくは《他者》の見てゐる夢に私が出現し、もしかすると《他者》の夢を私も見てゐるのではないかといふ疑念が湧いて来るのである。つまり、夢を見てゐるのが私である保証は何処にも無いのである。
――これは異なことを言ふ!
といふ反論が私の胸奥に即座に湧き出るのであるが、しかし、よくよく考へてみると、夢が私のものである保証は何処にも無い、つまり、夢といふ《他》との共有の場に私が夢見自訪ねると考へられなくもないのである。
ここで知ったかぶりをしてユングの集合的無意識や元型など持ち出さないが、しかし、それにしても私が夢の事を思ふ時必ず私は「夢を《他》から間借りしてゐる」といふ感覚に捉はれるのは如何したことであらうか。この感覚は既に幼少時に感じてゐたものであるが、私が夢を見るときに何時も朧に感じてゐるのは《他》の夢に御邪魔してゐるといふ感覚なのである。この感覚は如何ともし難く、私に夢への全的な没入を何時も躊躇はせる原因なのだが、私は夢を見てゐる私を必ず朧に認識してゐて、「あ、これは夢だな」と知りつつ或る意味第三者的に私は夢を見てゐるのであった。
――ちぇっ、また夢だぜ。
かう呟く私が夢見時に必ず存在するのである。これは夢を見るものにとっては興醒め以外の何ものでもなく、現実では因果律に縛られて一次元の紐の如く束縛され捩じり巻かれてゐた時間がその紐の捩じりを解かれ、あらゆる事象が同位相に置かれたかのやうに同時多発的に出来事が発生する、或る種時間が一次元から解放された奇妙奇天烈な世界が展開する夢において、所謂《対自》の《吾》が私の頭蓋内に存在することは、最早夢が夢であることを自ら断念することを意味し、其処では深々と呼吸をしながら深々と夢に耽溺する深い眠りの中で無意識なる《吾》が出現する筈の夢世界は、夢ならではの変幻自在さを喪失してをり、その当然の帰結として、私の眠りは総じて浅いのが常であった。つまり、私の夢は因果律からちっとも解放されずに、それは多分に覚醒時の表象作用に似たものに違ひないのである。
さて、其処で《闇の夢》である。私は《闇の夢》を見てゐる時、稀ではあるが深い深い眠りに陥る時がある。それはこんな風なのである。何時もの様に私は夢を見てゐる私を朧に認識しながら、私は一息深々と息を吸い込むと徐に闇の中へと投身するのである。それ以降は《対自》の《吾》は抹消され、私は意識を失ったかの如く《闇の夢》の中に埋没するのであった。最早さうなると何かを表象してゐる夢ならではの正に夢を見てゐるかどうかは不明瞭となり、《闇の夢》の中では無意識なる《吾》が夢世界に巻き込まれながら、因果律の束縛から解かれた、所謂《特異点》の世界の《亜種》を疑似体験してゐる筈なのである。
夢は因果律の成立しない世界が存在する、つまり、《特異点》の世界が存在することを何となく示唆するもので、私の場合それは《闇の夢》なのであった。例へば、《存在》は絶えず変容することを世界に強要され、世界もまた変容することを《物自体》に強要されてゐると仮定すると、《存在》は夢を見るように《物自体》に仕組まれてゐると看做せなくもないのである。つまり、《存在》する《もの》全ては夢を見、換言すれば《存在》はその内部に因果律が成立しない《特異点》を隠し持ってゐると仮定できなくもない、更に言へば、《存在》は《特異点》を必ず持ってゐると看做すことが自然なことに思へなくもないのである。
(二の篇終はり)
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| | | | | | | 積 緋露雪 | | | | | | | | | | 性別 | 男性 | | 年齢 | 45歳 | | 誕生 | 1964年2月25日 | | 星座 | うお座 | | 血液 | O型 |
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| | | | | 身長 | 172cm | | | 体型 | 痩身 | | | 職業 | 物書き | | | 地域 | 関東 | | | 性格 | 穏やか | | | 趣味 | 読書,クラシック音楽鑑賞 | | | チャーム | 特になし | | | | 自己紹介 | |
| 3度の飯より思索好き今もって独身 | |
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