| | | | | | | | | 2016/03/26 18:21:22 プライベート♪ | | | 音楽 | | | 最近日本で国内の音楽を聴いている人がいるのかどうかが掴めない。 | |
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最近日本で国内の音楽を聴いている人がいるのかどうかが掴めない。好ましい具体的な希望の音楽というものがあるとして、これらを聞かせてくれる人がいたなら聞きたいはずなのだけれど。
最近ラジオで流れるのは演歌や歌謡曲ばかりでこういう事態に陥ったら一応チューニングを変えることになっている。洋楽の場合も曲目に通じた通であっても取り上げる曲が決まっていてそれ以外は聴く機会がなかったという風で、これでは影響を受けることも少なかったことがわかる。 歌謡曲は覚えやすいというか、初めて聴くのに始めから最後まで1回で一緒に歌えるという独特な特徴を持っている。欧米の曲の場合は次の音が見事に予測をはずされるということもあるというのに。
過去三橋美智也という歌手が星屑の街を歌うのまでは聞くことが出来た。当時は幌馬車に揺られながら後ろ向きで移動する西部劇のような姿を思い浮かべられたもの。 東京の場合もそうでない場合も周囲は田圃に囲まれている環境ではそう違ったものは生まれないものかも知れない。
世界はワールド・ミュージック化しているというのに我が国はいつまでも演歌を歌っていてこれで良いのかという疑問がある。先に行っているのは韓国だけかと思っていたら最近モンゴルが想像していたよりも先に行っていて、失われた何十年間というものを感じる。米国の隣に位置してなくてしかも内陸国、しかも外国語でイキイキと歌う姿には勘違いも含め感動というものを覚える。これがロシアの隣の国で歌っていると誰が想像できるだろうか。
リズム感が単調では何の変哲もなく面白くもおかしくもない。日本人は同じグループが同じ曲を5年間ぐらい歌い続けていても引き続きこれを聞き、何の疑問も起きて来ないと見える。 これは変化を好まないという国民性にあるのかもしれない。英語を身に付けるぐらいなら外国人に日本語を覚えて来てもらうほうがカンタンとか、どこを変えたら良いのが生まれるのかも疑問もわかなくなっている。音楽はリズム感においてもいくらでも作り出せることができるというのにもったいない話にとれる。言葉で日本以外の国に音楽を伝えようとしても無理で、その点は楽曲自体が音楽として感動が伝わるようなものでなければ1曲1曲の価値が問われるような気がする。
音楽は総合芸術であるべきなのに、スキマだらけで持ち分が違うことを理由としてそういうのを担当する人は現状見当たらないという声で片づけられていそう。自然発生的にこれまで歩んできた道なので仕方ないというか、国が責任を持って管理して来ないとこうなるのか。
演歌歌手を目指す人も相当多いように見える。これらの人たちが職場を失うことになるとこれも一大事になるのか。 オリンピックも迫って来ていてその際のセレモニーが歌に限らず先々気がかりな1つではある。どういう計画が進められているのかは一切不明。過去には駐留軍訪問とかの関係から国内でジャズ楽団が成長した時期もあったけれど今では疎遠になっているような気がする。オペラ歌手ではなく演歌歌手が勢ぞろいしてコーラスを聞かせるというのは注目に値するものなのかどうかは常識から言って疑問で疑わしい。
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