| | | | | | | | | 2010/06/04 17:10:46 プライベート♪ | | | なし | | | 沖縄のこと | |
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★1945年(昭和20年4月)、兵力約55万人の米軍艦船は沖縄本島中部西海岸に上陸。 一方日本軍は兵力約10万人、圧倒的な戦力の差であつたが約3カ月抗戦し、全滅。
★時の軍司令官牛島将軍は大本営(東京)に戦闘終結報の打電をした際「沖縄の住民に対し格別のご配慮を」との一文を残し自決した。その後広島、長崎に原爆投下日本は降伏、以後沖縄本島は27年間米国の占領地となる。
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★過日、沖縄の米軍基地移転問題で政治が揺れた。この問題の原点は65年前の「沖縄戦」にある。さらに遡れば1941年12月8未明、ハワイ真珠湾の米艦隊奇襲攻撃を緒戦とした太平洋戦争だ。
★100年前、日本は当時世界最強の軍事大国ロシヤと戦った。時の政府は巧みな外交により国際社会の支援を確保し「勝ためのシナリオ」を画いて開戦し勝利した。 それから40年後、太平洋戦が勃発。
★近代戦の勝敗は当事国の国力の差つまり「弾薬と燃料」の生産能力の差にある。 太平洋戦に際し日本は国際社会から孤立した上、勝算の青写真も画くことなく開戦に突入。当初は破竹の勢いで進攻したが、戦闘消耗が重なるにつれ米国の圧倒的な軍事力には抗し難く戦闘能力の限界を越え敗れた。 目的も勝ち目も不明確な戦によって様々な悲劇と問題を生み、半世紀を経た今その「つけ」の一つが沖縄の「米軍基地移転問題」であり戦後の後遺症である。
★両大戦時の政治家を見ると日露戦は明治維新を創生した人達であり、一方太平洋戦の政治家は明治生まれの世代である。国難に際して両者の対処のあり方に格段の相違があるのは何故だろうか。日露戦後半世紀の間に政治家の資質が劣化したのだろうか。さて、吾々の選んだ政治家は如何か。 (この文を書いているとき鳩山総理辞任が報じられた)
(太平洋戦参戦少年兵の回顧)
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| | | | | | | 八十路 | | | | | | | | | | 性別 | 男性 | | 年齢 | 86歳 | | 誕生 | 10月16日 | | 星座 | てんびん座 | | 血液 | B型 |
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| | | | | 身長 | 165cm | | | 体型 | 普通 | | | 職業 | 無職 | | | 地域 | 福島県郡山市 | | | 趣味 | 書道(所属書道会・公認教授) | | | | 自己紹介 | |
| 1941年太平洋戦争少年軍人として 体験元陸上自衛官 | |
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