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2011/10/15 15:43:20 プライベート♪
なし
大震災と原発事故
 過日、福島県の第一原子力発電所から西5キロに住んでいた嘗ての職僚を尋ねた。彼はあの凄まじい地震と津波と原発事故に遭い、その後どう過ごしたか。
彼の手記(一部)を紹介する。
    
     * * * * * * * * * * * * * * * *         
 ★激震と家の中

   (3月11日午後3時41分・原発1〜3号機故障)

 3月11日午後2時40分頃、一人暮らしの私は洗濯物を取り込み、アイロン台を出そうとしたとき大きな横揺れがきた。大震災の始まりである。
神棚のお札が部屋中に飛び散り、奉榊瓶と仏壇の花瓶が倒れ水が畳に散る。電灯の傘も落下。呆然として柱を背に立ち往生、揺れの収まりを待った。その後台所を見ると電子レンシが床に落ち食器棚は中のものがすべて落ち毀れている。また、長押の先祖の遺影は落ちてガラスが割れ足の踏み場もない。テレビは消えていた。
外に出てみた。屋根瓦は幸い無きず、左となりの家の石垣は崩れ我が家の出入り口を塞いでいる。それから墓地に行ってみたが、我が墓石を入れて50本ほどある全て倒壊していた。このとき防災無線による津波警報が聞こえた。
「海岸に住む人は中央体育館に避難を」と報じていたが、体育館は原発から2キロの地点、避難した人達はそのまま原発避難へとなった。
後日知ったが、海岸から1キロの神社、隣接する新築した集会所ともに流失した。

(同日午後9時30分・1号機の半径3キロ避難命令、3〜10キロ屋内待機指示)

 ★原発事故と逃避行

 (3月12日午後3時16分・原発1号機水素爆発)

 3月12日昼、役場の車が来た。「早く乗れ!早く乗れ!」これが私の終わりの住処である。我が家と納骨(妻)予定の墓地との別れである。10分後、役場に着くと辺りには関東方面のナンバー付き大型バスや自衛隊車両がいっぱい、その数50台余り。
その後私の乗ったバスは県中央にあるK市方向へ。だが、スムーズには動かず、避難する乗用車、大型バス、町民を乗せた自衛隊車両などが数珠つなぎである。
実はこの道路、原発事故に備え工事中、加えて地震による損傷の箇所があり、1時間の行程を3時間を費やしてF町公民館に着いたがそこは避難車両でごった返していた。その後待つこと30分、夕闇が迫っていた。次の移動先M町の運動場へ、さらに30分後目的地の町立N小学校体育館に着いた。時に午後7時半だった。
同体育館には、寝具類、暖房器具が備えられ照明も明るい。それぞれ寝場所を決めホットして毛布に座り、現地自治体の努力に感謝した。
そして夜9時ごろ、おにぎり2個、カップ味噌汁1個が配られた。「これらを用意してくれたのは誰なのだろう」不安と寒さの中で思わず涙がこぼれた。
10時役場の職員(4人)が体調などの聴取り、名簿作成のための記名がはじまる。 中には誰が何処へ避難したか皆目わからない人がいる。お母さんは? 奥さんは?と尋ねるもわからない。またある若い奥さんはご主人が仕事場から避難したが、いまだ何処にいるかわからない。なとなど不安いっぱいの体育館であった。私も別居の家族(娘夫婦)に再三電話したが不通、世の中将に混乱の最中当然のこと。そして大きな余震が続く。

 ★家族の迎えと不安なこれから

 3月13日午前9時、未だ家族と不通。
10時ごろ、ようやく役場の職員が家族に連絡をしてくれ昼ごろ迎えに来た。涙。
それはこの夫婦に申し継ぐべきもの全てなくなった悲しさからであった。
着の身着のままで出てきたが、我が家に残した家財、また庭の樹木はどうなるだろうか。先祖と妻の位牌・遺影だけは手にしたい。今、我が町の隣人達は誰が何処にいるのかわからない。町はどなってしまうのか。寂しさと哀しさと恐ろしさが交錯する。

     * * * * * * * * * * * *

 震災から7カ月が経ったが、現在彼は猪苗代湖の東に隣接するK市内に一人生活している。最初の避難所から移動すること県外も含め5度目の場所である。
これからについて先ずは東電から送られて来た「賠償請求書」の作成に取りかかっているが、はたして満足する補償が得られるかどうか。    福島県は国道4号線の東側地域はほとんど放射能に汚染され、その除染には膨大な時間と費用がかかる。特に彼の町は原発に隣接し、高濃度の汚染地であり帰町は何時になるのかその目途は立っていない。そして彼はまもなく齢八十路である。


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Profile
八十路
性別男性
年齢86歳
誕生10月16日
星座てんびん座
血液B型
身長165cm
体型普通
職業無職
地域福島県郡山市
趣味書道(所属書道会・公認教授)
自己紹介
1941年太平洋戦争少年軍人として 体験元陸上自衛官
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