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| | | | | | | | | | | | | | | | | 2013/01/29 13:41:08 プライベート♪ | | | なし | | | アルジェリアの悲劇 | |
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過日、アフリカにあるアルジェリア共和国の石油プラントにテロの襲撃があり多数の日本人従業員が犠牲となった。 当初、日本政府に入った情報は「イスラム武装集団の襲撃に対し共和国軍が攻撃中」のみでこの施設に働く日本人の安否その他は一切不明であった。 日本政府は邦人の安全保護を要請したが、報道によればアルジェリア共和国は人質の救出等には一切触れずテロ集団の殲滅作戦を徹底した。
この事件の報道で初めて知ったのであるが、この国には「防衛駐在官」が派遣されていないことであっつた。 軍事的関係を担当する公務員が欠けていることであるが、これではこの国の政府の軍事関係機関から「高精度の情報」は収集できない。
日本はいろいろな企業が世界各国に従業員を派遣しているが、これらの方がたの安全を確保することは日本政府の責任である。つまり、邦人保護は国家防衛の一端である。特に政情不安定な国へのこれが配慮は当然と思うが、なぜか解せないところである。 高度な技術を持つ方がたを失ったことは誠に残念。
日本の外交防衛に関する弱点が露呈した事件であるが、これも日本の風潮としてこと国防(軍事)に関することへの無関心さが根底にあのではないかと思う。 最近、憲法改正論が高まってるが特に「第9条」が問題の中心となるものと思う。 半世紀以上改正することもない世界でも稀にみる「平和憲法」であるが、自国を守るに軍事的手段を持たないと宣言する憲法は世界に例をみない。
国防のための手段を持たずに他国の信義に期待する外交はカッコはいいが国際社会はそんな甘い世界ではないことは、過去の各種紛争・戦争が証明している。
アフリカ地域は中東地域と同様に宗教・民族の対立が激しく紛争が長年月続いている。このたびのテロ武装集団の司令官は「民主主義は人のためにならない」と公言している。したがって犠牲になった方がたはすべて民主主義社会に在る人である。つまり、イスラム系以外の国、人々は彼らの敵なのである。だから抹殺する。これがテロ集団の思想? のようである。
テロ武装集団はいつ、どこで、どんな行動を起こすのかわからない恐怖の集団として今後いつ止むこともない暴挙を続けるのかもしれない。日本では絶対にないことを祈る次第。ーーーーーー
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| | | | | | | | 2012/11/20 12:07:29 プライベート♪ | | | なし | | | そして選挙 | |
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衆議院は去る16日解散した。
小生、選挙権を得てから国政選挙で投票することおよそ20回ほど。
ところで、選挙について近年気になることは投票率。これが50パーセント以上
になることは甚だ少ない。
それには色々な理由があるかと思うが、民主主義における主要な原理としてまた
国民の重要な権利としての参政権の放棄はいかがなものか。
つまり、半分以下の国民の投票(意志)のみにより政治家を選んでいることとなる。
少々極端な言い方をするならば少数の国民によって国の運営が為されているとも
言える。
過半数の人の投票(意志)により物事を決めることが民主主義の考え方であるが、棄
権することも権利であるとしても低投票率は問題である。また、選挙権の年齢は 多くの国が18歳からとなっているようだ。
自民党政権から民主党政権になって3年余り、この間、党(執行部)が決定したこと
に反対して一部の議員が離党したが、同党を支持してその議員に投票した人々は
どう思ったのだろうか。節操のない離合集散としか思えない。
そして、16もの政党が乱立し有権者は混乱している。
人々は政党を重視するか、候補者個人重視か、どう考えて投票するのだろうか。
国は戦後嘗てない難局に直面している。国の舵とりをする政治家をどう選ぶか。
特に30代以下の方々の政治への意識のあり方に未来社会の幸不幸をきめるかも
しれない気がする。
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| | | | | | | | 2012/09/25 17:36:45 プライベート♪ | | | なし | | | 富国強兵の道 | |
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今夏も67回目の太平洋戦争の終戦日が巡ってきた。 ★1941年7月、日本は石油資源確保のためインドシナ(現ベトナム)に軍を進 駐、米国は報復として対日石油禁輸。 1941年11月末、日米国交調整交渉において米国は次の要求をした。 「中国・インドシナから日本軍の撤収・満州国の不支持・日独伊三国同盟の破棄」
日本はこれらの要求を拒否、交渉は決裂した。
★1941年12月8日未明、日本の連合艦隊はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋 艦隊を奇襲、開戦した。 しかしこのとき既に中国と4年にわたる戦争を継続中。長期の戦費負担により 国の経済は困窮しつつあったにも拘わらず圧倒的な国力差のある超大国に挑戦した。 それから3年9ヶ月、米英仏各国を相手にに戦い、広島・長崎に原爆を受けて 1945年8月15日無条件降伏した。
★ふりかえって日本は明治維新後「富国強兵」のスローガンを掲げ「徴兵令、地租改正、殖産興業」の各政策によって資本主義を育成して経済を向上させ、これを基礎に軍備を充実、欧米列強と対抗できる国力の整備を図ろうとした。
★明治維新以後日本が参戦した戦争と領土の拡張。
1894年・日清戦争(清国・現中国) 戦勝により台湾を領有 1904年・日露戦争(ロシア帝国) 戦勝によりサハリン島(樺太)南部と千島 列島領有 1910年・韓国日本に併合 1937年・日中戦争(支那・現中国) 1941年・太平洋戦争
★日露戦争と韓国の併合 日本は日露戦争後、韓国の外交権を獲得、その後韓国は国際法上の保護国となり1910年8月日本に併合、以後35年にわり日本の統治下に置かれた。
★満州事変と満州国の設立 1931年9月18日奉天市北方の柳条溝で鉄道爆破事件(日本軍が仕掛けたと言われている)があり、これが満州事変の点火となり日本軍は中国東北部(満州)を占領。翌31年3月日本の傀儡政権「満州国政府」が設立された。
★国際連盟脱退 1932年10月2日国際連盟の会議がジュネーブにおいて開かれ満州事変につて審議がおこなわれた。 翌32年2月24日連盟総会において日中両国代表の演説後、対日勧告案の採択に入り42対1で日本が敗れた。日本側全権は「光栄ある孤立」と声明、席を蹴って退場し国連を脱退した。 さらに1936年日本はロンドン軍縮会議も脱退し、艦艇の無制限建造体制に入り列強と伍する軍備の拡張を進めるとともに完全に国際社会から孤立することとなった。
★戦争とリスク 戦争とは、国と国とのエゴの衝突である。換言すれば覇権争いのための一つの形態である。覇権達成のための具体的手段は武力集団による戦争であるが、それは多くの人命の喪失と膨大な費用の掛かる大消耗行動である。 因みに太平洋戦争において失われた命は、軍人民間人併せて310万人、また喪失した国と民間の総資産は現在の価値でおよそ8兆2200億円(現防衛費の2年分に相当)と言われている。
★「富国強兵」の行方 明治政府は「富国強兵」について日本の将来像をどのように画いていたのか。 「強兵」とは東洋一の軍事国家になることであったのか。そしてこれを引き継いだ次世代の政府政治家は昭和に入り14年にわたる厳しい戦時体制に国民を曝しかつ多くの若者を戦場に送り出し犠牲を強いたが、戦争の結末シナリオをどう見積もっていたのだろうか。 狭い領土と資源のない日本は貿易により経済力を高めもって国力を保持すること、即ち貿易立国である。したがって諸外国との友好を常に保つことが必須の要件である。しかし、国際社会から孤立し戦争の連続による悲劇を生み、国土は廃墟と化した。 その後故郷に帰った人々による懸命な努力により世界有数の経済大国となったが、しかし未だいろいろな国際的問題が残されている。 それは19世紀末から20世紀前半までの間、日本と戦火を交えて敗れた国、また、植民地化された国の人々は国恥(怨念)として忘れていない。 国後と択捉・尖閣諸島・竹島の領有権の問題は具体的現象として「富国強兵」政策の「負」の延長線上にある問題と思える。
★政治家のあり方 日清日露戦時代の政治家について、特に外交交渉をみると欧米列強の支持をしっかりと取り付け開戦している。外交の失敗によって国際社会からの孤立を招き、資源の供給を止められ、かつ厳しい交渉条件を要求された。 そして政党を解散し軍部の意向に従い、かつマスコミを利用して開戦世論を煽り、勝つ見込みのない戦いに突入した。それは何故だつたのか。「窮鼠猫を噛む」の心理に追い込まれたのだろうか。
★八十路がこの悲劇の終末を体験してからから何時しか半世紀以上の歳月が過ぎてしまつた。 しかし、その悲劇と教訓も次世代に十分語り継がれぬまま風化し忘れ去られつつあるように思える。
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| | | | | | | | 2012/03/21 14:11:04 プライベート♪ | | | なし | | | 3.11のある記録 | |
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★東日本大震災の悲劇から一年余りが過ぎた。
その日の午後2時過ぎ、電柱と家屋が凄まじい音を発てて揺れた。 戸棚の扉が開き中の瀬戸物類が落下し割れて散乱、テレビは壁から約80センチほど動いた。これは大変なことになると直感。
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*1952年(昭和27)3月4日 十勝地震(M8.2)・北海道南部 & 三陸地方 *1968年(昭和43)5月16日 十勝地震(M7.8)・北海道東北地方 *1978年(昭和53)6月12日 宮城県沖地震(M7.4)
★上記は小生が過去遭遇した歴史に残る地震。何事三度、激震に遭うのはこれが最後と思っていたが、昨年4度目となった。加えて原子力発電所の津波被害による放射能汚染に見舞われた。この先復興はおろか復旧に何年掛かるのか。
★さて、先日「3.11被災地の証言」と題する著書を読んだ。 本書は民間の情報通信技術(ICT)の専門家集団が「被災地における情報行動調査」を計画し、その実態を調査記録したものである。記述内容の要旨は次のとおり。
*データーによる情報行動の分析 *情報伝達の実態ならびに原発事故と情報行動についての証言 *行政・企業・メディアへの意見 *情報システムの教訓および情報伝達ついての提言
★調査活動記録全体を通じ随所に述べられているのは情報通信の途絶である。 それは現地自治体行政機関の情報通信活動と被災住民の情報収集の状況を克明に記述しているが、その多くは停電による通信関係施設等が機能不全の状況に陥っていたこと。
★非常事態の対処において最も大切なことは初動のあり方、つまり迅速な情報収集(現場の実態把握)である。しかし、激甚災害においてはインフラの破損、特に電力施設の破損による電話(固定・携帯)・PCなど日常的な情報収集手段が不能となる。
★半世紀前は想像もしなかったほど高度に発達した通信施設と通信機器ではあるが、自然災害に対しは極めて脆弱であることが露呈し、便利さの反面その機能が失われると無用の長物になる恐れがあることに気づかされた。もし、情報通信設備の途絶がなければ適時に適切な情報が伝達され多くの人命喪失には至らなかったのでは、と思う。
★その他、本書は情報通信以外の問題についても被災者の様々な実態が詳細に記述されその対処法を示唆するとともに、国として又自治体として備えるべきこととして自然災害における非常用情報通信施設を整備し如何にして減災に努めるか、地震大国の課題についての提言として受け取ることができる。
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★何時起こるかもしれない自然災害に備える貴重な参考資料として本書を一人でも多くの方が読まれることをお勧めする。
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| | | | | | | | 2012/02/01 11:28:38 プライベート♪ | | | なし | | | 高齢者の運転免許証更新 | |
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★最近、高齢者による交通事故の多発を耳にする。 体の老化による反応能力の低下と高齢者の増加が原因かと思う。ただし、高齢者と言っても身体能力にはそれぞれ個々に差があり、中には90歳代で上手にハンドル捌きをする老人もいる。先日は105歳の人が乗用車を運転しているのをテレビで報道していた。一方、60歳代で早くも「認知症」になる者もいる。
★高齢者の交通事故の内容は、「自動車の運転による」ものと「道路の歩行中」とに大別される。前者については判断と操作(運動)能力の低下によるものと思う。 特に感ずることは、自動車の速度シフトがオートマチック(自動変速)となってから頻発するようになったことである。 オートマチック構造はいちいちシフトレバーを操作しなくても自動的に速度が変わる仕組みなので楽ではあるが、ペタル(ブレーキとアクセル)の踏み間違いによる大事故を起こす事例が多くなっている。いわゆる操作能力の低下である。
★自動車の変速メカニズムは、1970年代頃まで「選択習導式」と言って変速のたびにクラッチを2回(一回目はニュウトラルにする)踏んでシフトレバーを操作するものであった。( ダブルクラッチと云い50歳代以下は知らないかと思う)その後、クラッチを一回踏んで変速可能な構造となり、平成になってオートマ化した。「自動」と称するメカニズムは大変便利でかつ楽ではあるが、思わぬ危険が潜むことに注意を要する。したがって小生、未だ「フロアーシフト車」を愛用している。何故か。運転歴50有余年、「オートマ車」の運転も十分可能であるが、操作がワンテンポ欠けているため運転リズムにギコチなさを感ずるからである。
★高齢者の自動車事故の増加傾向を受けて最近は、自動車の運転免許更新にあたり年齢70歳以上の運転者を対象に「高齢者講習」受講が義務ずけられた。その講習内容は次のとおり。 ❶予備検査・「認知機能検査(記憶) ❷運転適性検査・「反応動作の速さ、集中力、動作の確実性、注意配分 ❸運転行動診断・「信号、交差点、進路変更、カーブ走行」
⓵は年齢75歳以上が対象とするいわゆる「認知症」確認の検査である。 具体的な検査の例・「11時10分を表す時計の図を書く」「日常使用する品物の絵を数分見たのち記憶しているものを書く」など。(小学校低学年レベル) これにより疑いのある場合は医師の診断を勧告され、もし当該症状と診断された場合は免許更新は許可されない。
⓶は機器を使用して身体能力を検査する。 ⓷は実際に自動車を運転して各状況に応ずる操作能力を検査する。
★以上の講習時間約3時間・講習終了証明書を受領したのち県公安委員会所轄の事務所におもむき更新申請手続きを行い新免許証が交付される。ただし、優良運転者であっても有効期間は3年である。
★なお、この講習を受けるには自動車学校に受講日を申し込み、当日受講料(6千円)を支払う。更新料と合わせるとおよそ1万円ほどになる。免許証を買うような感があり年寄りはもう運転に終止符をとの意なのかもしれない。 しかし、いくら歳を重ねてもハンドルを握りたい年寄りはこれからも増加していくものと思う。これに伴い事故も増えるかもしれない。よって高齢運転者に対する「運転適応能力の検査」は社会的に必須の措置と言える。
高齢運転者所感
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| | | | | | | 八十路 | | | | | | | | | | 性別 | 男性 | | 年齢 | 86歳 | | 誕生 | 10月16日 | | 星座 | てんびん座 | | 血液 | B型 |
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| | | | | 身長 | 165cm | | | 体型 | 普通 | | | 職業 | 無職 | | | 地域 | 福島県郡山市 | | | 趣味 | 書道(所属書道会・公認教授) | | | | 自己紹介 | |
| 1941年太平洋戦争少年軍人として 体験元陸上自衛官 | |
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