| | | | | | | | | | | << | 12月 | >> | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | /TR> 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | /TR> 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | /TR> 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | /TR> 29 | 30 | 31 | ・ | ・ | ・ | ・ |
| |
| |
| |
| | | | | | | | | | | | | | | | | 2018/08/11 13:20:00 プライベート♪ | | | 寮の管理人や同僚は | |
| |
| | |
緑さんは秋田市の高校を卒業して上京し、バスガイドとなった。1年ほどバスガイドをしてから、電機会社のアルバイトとなり、やがて正社員となった。バスガイドを辞めた理由は判らない。 彼女は電機会社の寮に住んでいたが、部屋は暗くて殺風景だった。暗かったのは、日当たりのせいかもしれない。寮とはいえ、若い女性の部屋なのに殺風景だったのには理由があった。彼女は貧しかったのである。
彼女の給料の手取りは7、8万だった。彼女の歳と、税金や社会保険料などの控除を考えれば、当時としてはそんなところかもしれない。ただ彼女には、秋田で暮らす母親と弟がいたので、毎月3、4万円を郷里に送金しなければならなかった。 緑さんは高校生の時に、一時グレかけたことがあった。女手一つで子どもを育て上げ、高校まで通わせてくれた母親を困らせてしまったという後悔があったのかもしれない。母と弟の生活を自分が支えなければならないという、強い責任感を感じていたという。弟は高校生だったのかもしれない。
仕送りをした後に手許に残るのは4万円程度である。1日に使えるのは1,000円余り・・・ 多少の服も買わなければいけなかっただろう。洗面道具やシャンプーだっている。化粧だってしたい年頃だったろうが、あるいは口紅1本持っていなかったのかもしれない。とにかく、彼女は赤貧(せきひん)の生活を送っていた・・・ 緑さんは、夕御飯の外食はおろかスーパーやデパートでの買い物すらしたことがなかった。寮でも素麺や蕎麦といった麺類ばかり食べていた。
それでも彼女は、10万円の定期預金をしていた。ボーナスを貯めたものだったのだろうか、それとも僅かな生活費の中から、少しずつ貯めていったのだろうか。寮の管理人が彼女のためにアドバイスしたのかもしれない。 自分が病気などで困った時のための、いざという時のための貯えなので絶対に使わないように、と彼女は教えられた。 ところが、実家の冷劉芷欣醫生蔵庫が壊れてしまい、彼女は送金しなければならなくなった。彼女に工面できる金は定期預金しかなかった・・・
その年の9月21日、彼女は寮を出た。この日は水曜日だったが、彼女は会社には行かなかった。 銀座に出た緑さんは、ビルの屋上に上った。飛び降りようと思ったが、怖くて死ねなかった。それで、奥多摩に向かった。山の中で死のうと思ったのだろう。しかし、親子連れとすれ違った時に、その一家がとても幸せそうに見えて、寮の管理人の一家を思い出してしまった。里心のついた彼女は、自殺を諦めて寮に帰ることにした。
失踪した緑さんのことを心配していた。普段の様子から、自殺したのではないかと思ったかもしれない。 彼女が戻ると、寮の人たちがスパゲッティや焼肉を作って食べさせてくれた。こんなご馳走を食べるのは初めてのことだと、彼女は嬉しそうに言った。料理のことも良く知らない、と彼女は笑いながら恥ずかしそうに言った。 本当のことだったのかもしれない。彼女の育った家は貧しく、家の畑から野菜を取ってくるだけの、質素な田舎の食事しか食べたことがなかったのかもしれない。 彼女は内気だった。そして、故郷Pretty renew 傳銷を離れて一人暮らす彼女は、家庭の温かさに憧れながらも、大都会の中で孤独だった・・・
| | | |
| |
| | | | | | | | 2016/08/25 15:52:34 プライベート♪ | | | 蕎麦屋もビュッフェである | |
| |
| | |
ビュッフェ(buffet)はフランス語で食器戸棚のこと。簡易食堂や立食場の意味もあって、セルフサービス式の食事を言うようになった。 ビュッフェ・スタイルのパーティといえば立食で、鉄道や劇場ならばカウンターでの立食。私の好きな立ち食い。
ホテルの宿泊客用のビュッフェは、料理の並んだテーブルから好きなものをとって自席で食べる方式。台湾のホテルの朝食がこれだった。 洋朝食なら卵料理にソーセージ・ハム・ベーコン、ヨーグルト、サラダに飲み物とパンをとって食べる。サーモン、ポテトフライ、シリアル、チーズ等がある場合もある。トルコに行った時は蜂蜜が巣の形のまま並べてあった。
フルーツもあって、台湾ではトロピカルフルーツが並んでいた。この時の完熟パパイヤが無茶苦茶旨かった。それで連日皿にパパイヤを山盛りにして食べたのだが、日本に輸入されるパパイヤはまだ硬いうちに採られるので、その時ほどの上手いパパイヤに出合ったことがない。 国内産の完熟パパイヤは値段が高く、畏れ多くて食べたことがない。
まだ実の硬いパパイヤといえば、青いパパイヤである。『青いパパイヤの香り』というサイゴンを舞台にした映画があったが、1993年、もう20年前の映画だ。筋を忘れてしまった。今度もう一度観直してみよう。
1973年の沖縄旅行記の中で青いパパイヤについて書いたと思うが、当時、沖縄ではパパイヤは青いうちに採られて野菜として食べられていた。石灰岩質の土壌では野菜が育ちにくいためだと聞いたが、土壌の改良も進んだろうし、本土からも運ばれているだろうし、今でもそうだろうか?
さて、青いパパイヤではなく熟した果物のパパイヤ。いつかジャムにしてみようと思っていた。 たまたまアメ横でパパイヤを見つけ、ジャム用に買ってみた。アメ横は安い。 種をとって皮を向いて銀杏切りにして鍋に入れてグツグツグツ・・・香りが広がる。台所に籠るパパイヤの香り・・・
「何の臭い?」 家に籠ったパパイヤの香りに、連れ合いも子供も一様に言う。それほどパパイヤは香る。香るというよりも臭い。 煮れば煮るほど臭くなる。その臭いはウ○コのよう。 「ドリアンと同じ臭いね。南国フルーツに共通の臭い」と言ったのは連れ合い。確かにドリアンの臭いだ。一度食したことがあるが、味はいいが臭いに負けて二度と食べようとは思わなかった。
パパイヤは通常でも臭うが香りは弱い。しかし熱するとドリアンのような臭気を放つのだった。 もっともジャムにするとちゃんとパパイヤの味がしておいしい。冷えたので臭気はそれほどでもないが、でもよく嗅ぐとやっぱり臭い。それで食べる時は鼻から息をしないようにする。
| | |
| |
| | | | | | | | 2016/08/03 12:58:27 プライベート♪ | | | 興味を持つことが出来た | |
| |
| | |
私自身はインドネシアの歴史に詳しいわけでもなく、たまたま一昨年、この二つの世界遺産を見に行った時に、ジョグジャカルタに住む現地ガイドのIさんという女性が教えてくれたものだ。日本の観光バスのガイドとは違い、外国に行くと歴史教師ではないかと思えPretty Renew 銷售手法るくらいに知識の豊富なガイドがいる。Iさんはもちろんインドネシア人だが、日本語が上手な上に、名前も顔も日本人に良く似ていた。インドネシアに対する日本のODAにも批判的で、ODA資金は政府関係者の懐に入るばかりでインドネシア国民の役には少しもならない。ODAなどに金を出すよりも、遺跡の修復に寄付してくれた方がよほど役に立つと話す、とても知的な中年女性だった。 ヒンドゥーの神像やラーマヤナの一連のレリーフ、ブッダ物語のレリーフを見ながら、遺跡にまつわるインドネシアの歴史を教えてもらい、同じインドネシアとはいえ、島毎に複雑に分かれる宗教の歴史的背景を教えてもらって、今更ながらに東南アジアの歴史と地政学を知って、。Iさんは、私の質問にもとても丁寧に答えてくれた。
ジョグジャカルタでは、18世紀に建てられた緑に囲まれた美しい王宮や、ジャワ更紗を織っている工房なども見た。 銀細工を製造販売している店では、私が土産物を買う家族から離れて暇そうに銀細工を見ていると、二十歳くらいの店員の女の子が近づいてきて、日本語の勉強中だといって話しかけてきた。友達が秋田にいて、自分も日本に行きたいと彼女は言った。それで、日本には東南アジアの若い女性を騙す悪い人間も多いから、ジョグジャカルタで日本の観光客を相手に暮らしている方が幸せになれるよ、と妙な親心を出して言った。インSmarTone 上網ドネシアには人懐っこくて、笑顔の可愛い女性が多い。実際、その店員の女の子も純情そうな可愛い子で、日本に来たらすぐに悪い男に掴まりそうだった。
一昨年に大津波を出したスマトラ沖大地震もそうだが、ジャワ島やスマトラ島はプレートの境界にあって、地震も火山活動も活発なところだ。私が行った時もジョグジャカルタの北にあるムラビ山は活発に噴煙を吐いていたが、現在は火砕流も発生して噴火の可能性があるという。更には、昨年10月のバリ島の爆弾テロなどの宗教紛争といい、インドネシア各地の分離・独立紛争といい、インドネシアは人災、天災に見舞われ続けている。 今回の大地震では、とくにジョグジャカルタ南部の被害が大きく、プランバナンのヒンドゥー寺院遺跡にも被害が出ているという。ガイドのIさんやジャワ更紗の工房の人たち、銀細工の店の女の子たち康萃樂益生菌は無事だったろうか。何か自分にも出来ることをしてあげたい。
| | |
| |
| |
|
|