| | | | | | | | | 2013/09/03 12:59:09 プライベート♪ | | | 『水曜どうでしょう』新作DVD大ヒット | |
| |
| | |
堺は高校で演劇部に入部する。予想どおり中退したのは、3年生の春です。家族には一切相談せずに。実家に帰ったとき、「大学に退学届を提出しました。すみません」と一方的に事後報告しただけ。人生の酸いも甘いも「倍返し」できる男、それが堺雅人なのだ。 それはもう非難ごうごうでしたよ。その後7、8年間、絶縁状態が続きました。そのときの演劇部での先輩は1人だけ。堺が入ると部員は15〜20人に膨れあがった。そして堺は、つかこうへいの『飛龍伝』を演じるなど演劇の世界に没頭していった。その後1カ月ぐらいは女子からモテモテで、ある男子なんか購買部でペンを買ってきて堺くんに使わせて、それを女子に売ってました。120円のペンが300円で売れたらしい。この『オードリー』を観た両親が連絡を取ってきて、ようやく勘当も解けた。その後、堺は長年の親子の空白を埋めるべく、両親を東京に呼び寄せ、積年の思いを“倍返し”にしたのだった。もともと「水曜どうでしょう グッズ国立大を出て官僚になるのが希望だった」堺が進学したのは、演劇活動が盛んな早稲田大学第一文学部だった。「劇団オレンジ」に入り、授業よりも稽古に没頭する日々が続いた。仕送りがなくなった彼の脳裏には、母親の『野菜は食べないと』という言葉だけが呪文のように残っていて、道端のたんぽぽにポン酢をつけて食べたこともあったそうです。アルバイトは通信販売の受注や運送業者、ドーナツ店などをやっていたとか。堺は下積み時代に世話になった人のことは忘れないという。高校時代の恩師で歌人伊藤一彦氏は、つい最近、堺に会ったそうだ。堺の知人は次のように話す。 実家からの援助を断たれた堺は、バイトをしながら芝居に打ち込む極貧生活を送った。俳優の仕事だけで生活できるようになったのは、26歳でNHK朝の連続ドラマ『オードリー』に出演してからです。菅野さんとの結婚に際して、堺さんは先生に菅野さんをきちんと紹介したそうです。3人きりで会ってね。先生も『彼女の目がほんとにキレイだったよ!』と、嬉しそうに周囲に話していたようです。
| | | |
| |
| |