| | | | | | | | | 2016/08/10 13:01:43 プライベート♪ | | | 東京では最初の開業だったそうだ | |
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黒部ダムのオフィシャルサイトを見ると、トロリーバスの歴史や特徴が紹介されている。 普通のバスと何が違うかと言うと、要するに電気を動力にしている。しかもバッテリーではなくreenex 效果て、道路の上の架線からトロリーポールという集電装置で電気を取り入れる。道路の上にトロリーバス用の架線があればタイヤでOK、路面電車のような軌道は必要ない。 黒部ダムのオフィシャルサイトには昔のトロリーバスの写真も掲載されているので、百聞は一見にしかず。現在でも、モスクワ、北京、広州、メキシコシティ、ポツダム、ミラノ、バンクーバーにはトロリーバスが走っているそうだ。
さて、東京のトロリーバス・・・ 1952年の今井・上野公園間が。この路線は、今井(江戸川区)から亀戸、押上を経由して、浅草観音裏から言問通りを鶯谷・根津に抜け、不忍通りで上野公園まで行く。 このほかに3路線のトロリーバスがあったが、実はどれも池袋駅が起点となっていた。どうりで池袋駅前のトロリーバスが印象に深かったわけだ。
このうち2路線は、池袋駅前から明治通りをそれぞれ右回り、左回りしている。右回りは、池袋駅から明治通りを西巣鴨、王子、尾久、新三河島、三ノ輪、泪橋、東向島まで行って、亀戸駅が終点。 左回りは、池袋駅から明治通りを南池袋、四谷三光町(新宿5丁目)、渋谷駅まで行き、ここで玉川通りに入って大橋、さらに山手通りに入って中目黒、大崎広小路、そして五反田駅から御殿山に抜け、品川駅で終点。 4番目の路線は、池袋駅からの明治通り右回りと三ノ輪までは同じ経路で、明治通りを離れて吉原大門reenex cps價錢、浅草観音裏、六区、雷門が終点。
さて、東京のトロリーバスを覚えている人は、この4路線のどこかで見たわけだ。ちなみに全線開通が1958年、1967年から順次廃止となり、1968年にやはり今井・上野公園間が最後の廃止となった。 廃止の理由は、もちろん東京都内のモータリゼーションと交通渋滞である。都電同様にトロリーバスも道路の邪魔者扱いされた。同時に、地下鉄網の整備が進んだことも、廃止の大きな理由だったのだろう。
東京の地下鉄は、銀座線が戦前の1939年に全線開通し、丸ノ内線の池袋・新宿間の開通が1959年である。日比谷線の全線開通が1964年だった。 丸ノ内線と日比谷線の開通は、東京の商業地の盛衰に大きな役割を果たしたかもしれない。銀座線を含めて、いずれも銀座駅を経由した。このために、銀座の商業地としての地位が格段に上がった。当時は国電・有楽町駅が銀座の最寄り駅だったのだが、地下鉄3路線が銀座の真ん中に乗り入れることになった。 同時に日比谷線の開通は、それまでは陸の孤島だった六本木が、繁華街へと躍進していくきっかけともなった。
銀座の躍進とは逆に、地位を低下させたのが浅草だった。浅草にはもとより国電の駅はない。銀座線と1960年に一部営業開始した都営浅草線、そして私鉄の東武伊勢崎線の浅草駅があった。 日比谷線が開通すると、銀座が便利になっただけではなかった。日比谷線は東急東横線と東武伊勢崎線に乗り入れていた。とりわけ東武伊勢崎線は、北千住から日比谷線で銀座方面に乗り入れていたので、ほとんどの乗客が浅草には向かわずに、上野・銀座方面に向かってしまった。ラッシュアワーでも、北千住・浅草間の東武伊勢崎線はガラガラとなった。 浅草商店会の努力とつくばエクスプレスの開通で、最近の浅草は再び混むようになったが・・・
都営浅草線の全線開通が1968年、東西線の全線開通が1969年・・・その後も次々と地下鉄が開業し、今では私も把握できないくらいの地下鉄網となっている。そして、いつの間にかトロリーバスは姿を消した・・・
トロリーバスも都電も1960年代の終わりまで走っていたのに、実は私にはそれほど乗った記憶がない。トロリーバスは路線に縁がなかったせいで、たぶん乗ったことはない。都電は国電や地下鉄に比べれば時間が掛かり過ぎた・・・つまり、当時の私にとっても、都電はすでに無用の長物になりかかっていたのだ。
高度成長期にあった東京では、都電やトロリーバスは時代の進歩から取り残されていた。そして誰もが道reenex cps價錢路を占有する邪魔者だと感じていた。今になって都電やトロリーバスのことを懐かしがるのも、単に失われたものへのノスタルジーに過ぎないのかもしれない。 私たちは、この東京の便利さと引き換えに、都電やトロリーバスの走る東京など求めてはいない、たぶん・・・ 東京に住む多くの人たちは、東京にスローライフなど求めてはいない・・・
さて、都電だが、こちらは41系統あったそうだ。池袋駅についていえば、東口のロータリーから護国寺方面に行く都電があった。 17系統・池袋線が池袋駅前から護国寺まで走っていたが、1969年に廃止された。この17系統は、護国寺から不忍通りを大塚3丁目まで、さらに春日通りを伝通院、後楽園、さらに白山通りを水道橋、神保町、そして外堀通りを錦町河岸、神田橋、新常盤橋、呉服橋、東京駅八重洲口、数寄屋橋まで行った。
都電に乗ると、乗り換え切符というのがあった。千住4丁目から上野駅を経由して水天宮まで行く21系統という都電があったが、秋葉原で乗り換え切符をもらって13系統に乗り換えて四谷三光町(新宿5丁目)まで行った記憶がある。少なくとも1968年以前のことだ。 四谷三光町の都電の駅は伊勢丹前にあったが、つらつら考えても何しに行ったのか良く思い出せない。たぶん中学生だったと思うのが、一人だったし、とても伊勢丹に用があったとは思えない。 紀伊国屋書店に行ったのだろうか・・・国土地理院の5万分の1の地図か、天気図用紙でも買いに行ったのかもしれない。
(写真/昨年12月、北京のトロリーバス。ちなみに撮影者は私ではなく、連れ合い・・・)
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