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2014/10/17 17:15:25 プライベート♪
なし
アンネの日記
最後に、多くの人が知っている「悲しい日記」です…。

『アンネの日記』(アンネのにっき)は、
ドイツ系ユダヤ人少女アンネ・フランクによる日記様の文学作品。

第二次世界大戦の最中の
ナチス・ドイツ占領下のオランダ・アムステルダムが舞台。

ナチスのユダヤ人狩りを避けるために
「隠れ家」に潜んだ8人のユダヤ人達の生活が、
アンネの日記んいよって写しだされています。

執筆は密告によってドイツ秘密警察に捕まるまでのおよそ2年間、
1942年6月12日から1944年8月1日までに及んでいる。
彼女の死後、父オットー・フランクの尽力によって出版され、
世界的ベストセラーになった。

『アンネの日記』は、
一少女の内的葛藤と成長を描き出した作品であるとされています。
日記とはいえ、「キティー」と呼ばれる第三者に宛てた手紙を模した独特な表現スタイルで綴られています。
その内容において特に際立つのが、
早熟さ鋭い観察力批判精神であるといわれています。

作中に何か決定的なドラマがあるわけではなく、
むしろ逮捕以後の悲惨さとは対照的に、幾つかのエピソードを除いて、
他愛のない日常が記録されています。
戦争やゲシュタポの影に怯えながらも作品全体としての印象は明るく、
時に絶望することがあってもそれに押し潰されることなく、
隠れ家という閉塞された空間の中でも将来への希望が感じられる程です。

しかし、
その将来が無残に断ち切られることによって
その結末には悲劇性が増幅されています。

この作品で若年者が
戦争人種差別ホロコースト
などについて考える一助となったそうです。


主要な登場人物はアンネと一緒に
アムステルダム市プリンセンフラハト263番地の隠れ家に隠れていた、
7人の同居人である。

アンネ・フランク
日記上では「アンネ・アウリス」のち「アンネ・ロビン」名を名乗る。
逮捕後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスにより死亡したとされている。

オットー・フランク
アンネとマルゴットの父。
逮捕された後も戦後まで生き延び、娘アンネの日記を出版した。

エーディト・フランク
アンネとマルゴットの母。オットーの妻。
しばしばアンネと衝突したことが日記から窺われる。
逮捕後、アウシュヴィッツ強制収容所で死亡。

マルゴット・フランク
アンネの姉。
日記からはペーターとアンネの関係に複雑な思いを寄せる様子が窺える。
逮捕後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死亡。

ペーター・ファン・ペルス
アンネと恋愛関係になる少年。
ただ、2人の関係はキス止まりだった。
日記上では「アルフレート・ファン・ダーン」。
逮捕後、マウトハウゼン強制収容所で死亡。

ヘルマン・ファン・ペルス
ペーターの父。
日記上では「ハンス・ファン・ダーン」。
日記からはフランク一家と摩擦が多かった事が窺われる。
逮捕後、アウシュヴィッツ収容所で死亡。

アウグステ・ファン・ペルス
ヘルマンの妻、ペーターの母。
日記上では「ペトロネッラ・ファン・ダーン」。
ヘルマン同様フランク一家と摩擦があったことが日記から窺われるが、
コミカルな性格が描写されている事も多い。
逮捕後、死亡するがいずれの収容所へ送られたか不明。

フリッツ・プフェファー
歯科医。
日記上では「アルベルト・デュッセル」。
愛人がいたが、愛人はユダヤ人でないため、一人だけで隠れ家に合流。
アンネと折り合いが悪く、日記の中で頻繁に悪役にされる。
逮捕後、ノイエンガンメ強制収容所で死亡。


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2014/04/17 16:17:35 プライベート♪
なし
土佐日記
ここで、古〜〜いところで、土佐日記
古典文学になんの縁がない方でも、この出だしの一節は記憶にあるのでは・・。

紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事などを、
虚構を交えて綴った日記文学。

原本は土左日記(とさのにき)とあったとみられる。
成立は935年(承平5年)頃と言われる。

930年(延長8年)から934年(承平4年)まで土佐国の国司だった貫之が、
任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、
女性の日記に仮託して仮名文で綴った作品です。

日本文学史上、おそらく初めての日記文学といわれています。

930年(延長8年)から934年(承平4年)まで
土佐国の国司だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの
55日間の紀行が57首の和歌と共に綴られています。
土佐国で亡くなった愛娘を思う心情と帰京をはやる思いが中心となっています。

現代でいう日記というより紀行に近い要素が強く、
日本文学史上初めて諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)
が用いられているそうで「日記」といものを書くにあたっては、昔の人も「文学」という敷居の高さから開放され自由に思ったままを、時には空想の産物なども入れながら楽しんで書いたものだったのではないかと考えられます。

男性であった紀貫之が「女性の日記に仮託して…」極端に解釈すれば、
女性のフリをして記述したということですから、
今のWeb世界の日記にも通じるものを感じませんか・・?


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2014/02/17 16:08:43 プライベート♪
なし
Web日記
Web上での日記書きは、
インターネット普及の初期から、
誰でもかける身近なコンテンツとして個人の間で行われていました。
Web日記はやがて相互の交流が生まれ、
リンク集に形を変化させていきました。

例としては、1995年、主に理工系の大学院生らによって、
北大の「べんりくン」のような更新時刻自動蒐集サービス。

豊橋技科大の「日記リンクス」
のようなアクセスランキング機能を持った巨大日記リンク集。
1996年「日記猿人」(にっきえんじん)という日記リンク集などがありました。

この日記猿人には投票システムがあり、
登録した個々のサイトのランキングを出す特徴がありました。
その為多くのサイトがランキングを上げようと、
内容のエンタテインメント性を強め、
「個人」のものから数多くの人が読んで楽しめるサイトになっていったのです。

こうなると、
ランキング上位のサイトのアクセスは増大し、
「集客力」を持つコンテンツに変わっていきました。

それに伴って、
Web日記の知名度が高まると、
自分でも書いてみようとする人が多く現れ日記書きの大ブーム到来となりました。
日記猿人の人気は2000年頃まで続きその後は、日記才人に受け継がれた。


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